中田英寿という生き方(前編)【フットボールサミット第2回】

『「偏屈者」と呼ばれしサッカー界のトリックスター』
さまざまな革命をもたらしながらも、日本の社会では「偏屈者」「変わり者」というレッテルを貼られてしまう中田英寿という生き方。日本的な甘えを断つその生き様は、引退後のいまもさほど変わっていないように思える。再び新しい道を切り開こうとしている彼は、またも日本の社会と対峙することになるのか。

2012年12月14日(Fri)18時11分配信

text by 大泉実成 photo Kazuhito Yamada
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中田英寿という生き方【写真:山田一仁】

【後編はこちらから】

チームメイトが見た「2人の中田」

 かつて、中田英寿は英雄であった。

 僕は『サッカー批評』という雑誌で『ハード・アフター・ハード』という連載を続けている。現役時代もハード、引退後もハードというサッカー選手の生き様を、引退をひとつの軸としてルポルタージュしているのだが、連載を始めるとき、無意識の深い霧の中から浮かび上がってきたのは、1993年のU-17日本代表のその後だった。

 言うまでもないことだが、1993年は日本サッカーにとって記念すべき年だった。Jリーグが開幕すると、空前のサッカーブームが起こった。代表チームはワールドカップ予選を通過し、初の本選出場を決めるかに見えたが、その寸前でドーハの悲劇を経験する。それは国民的な経験となり、ワールドカップ出場は国民の悲願となった。

 U-17世界大会が日本で行われたのは、この年の8月のことだった。どうして僕がこの試合を見に行ったか、今となってはよく覚えていない。あるいは、いまだワールドカップに出場したこともなく、世界の中で日本が戦えるのかどうかもわからない状況の中で、日本のアンダー世代の代表が果たしてどれほど戦えるのかを見たかったのかもしれない。

 日本はホスト国として、ガーナ、イタリア、メキシコと共にグループAに入っていた。ものすごい面子だが、予選を突破したのは日本とガーナだった。緒戦のガーナ戦を0-1で落とした日本は、イタリア戦を0-0で引き分けると、メキシコに2-1で競り勝つ。FIFA主催の世界大会で、日本が初めてグループリーグを突破し、ベスト8に入った瞬間だった。

 その結果、いまだ高校生であった選手たちは、空前のブームが巻き起こす過剰な期待を背負って、その後のサッカー人生を生きることになる。

 僕が取材を始めたころ、彼らはまもなく30歳になろうとしていた。17歳にして世界ベスト8の栄冠を勝ち得た彼らは、現役時代の終わりを、あるいは第二の人生を、どのように歩んでいるのだろう。僕の関心はそこにあった。

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