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アンドレア・ピルロ 天才レジスタの「戦術眼」(前編)

text by クリスティアーノ・ルイウ photo by Sinichiro Kaneko/Kaz Photography

小さい頃から美しいプレーの虜、というかマニアだった

――ところでアンドレア、君にとっての理想のサッカーとは?

「他ならぬバルサのそれ、だね。ボールを美しくキープして、それを相手の視界から消し続ける。圧倒的な(ゲームの)支配を超一流の技が可能にする。思うに、あれ以上のサッカーはないんじゃないかと。

 とにかくこの僕自身は小さい頃から“美しいプレー”の虜、というかマニアだったからね(笑)。だから“ファンタジスタ”に、とくにロビー(・バッジョ)に憧れたんだよ。華麗に魅せるプレーはゴールに勝る価値があると信じていたんだ。実際、小さい頃から僕はいつだって『10番』を与えられていたし、どのカテゴリーでも監督は僕に『感じるままにプレーしてこい』って、そう言ってピッチに送り出してくれたものだよ。

 ドリブルやフェイント、ループパスやスルー、“ヴェロニカ(身体を回転させたターン)”や鋭く曲がり落ちるFKとか……。まぁ言ってみれば典型的なファンタジスタのプレー、それこそがサッカーだと信じていたし、なによりも僕の美的感覚を満たしてくれていたんだ。もちろん、そんな魅せるプレーが常にチームの勝利に直結しないことは十二分に承知していたんだけどね(笑)。組織戦術とか、つまりはコレクティブなプレーとは明らかに一線を画すところに僕のサッカー観があったわけだよ。

 で、実際にそんな自分の感覚を信じて上(セリエA)に上がってね、当初はトレクアルティスタとして、それこそ、思うがままにプレーしていたんだけど、当然と言うべきなのか、やっぱりAというカテゴリーでその僕のスタイルが成功を見ることはなかったんだ。もっとも、この僕がAにデビューしたのは16歳の頃だったし、あまりに若過ぎたと言うべきなのかもしれないけど。とにかく、時代は4-4-2とフィジカル全盛。いわゆるファンタジスタは行き場をなくして、ついには排除されていった時代だからね。この身体の小さな僕が活躍の場を得られなかったのは当然と言えば当然だった。

 10番に求められる役割は、ゲームの組み立てを仕上げる者、つまりラストパスを出す存在ではなくて、むしろその最後のパスを受けてゴールを決める役へと変化していたしね。プレーする位置がおよそ15mばかり前に行ったわけだよ。なのでレッジーナで、それにU-21でも僕は懸命にセカンドトップの責務を果たそうとしたんだけど、なかなか思うようにはいかなくて。で、インテルでも結果は同じだった。

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