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ハーフナー家の絆 ~親子ニ代で日本人になるということ~(前編)

text by 元川悦子 photo by Kenzaburo Matsuoka

マイクが一度だけ泣いて反発した移籍

「マイクは札幌にいた小学校時代は札幌アグレ厚別・信濃FCに通っていて、途中からコンサドーレのアカデミーに行き、高校生になった2003年からマリノスユースに入りました。ニッキの方は札幌SSSからスタートして、僕がマリノスに行くと同時に下部組織に入ったけど、川崎フロンターレU-15に入り直し、私の移動とともに名古屋U-15に移りました。そのままU-18に上がってますね。

 日本人の家族の場合、お父さんの転勤が多いと、子供だけ寮に入れたり、1人暮らしさせたりすることも多いですけど、オランダ人はどんな時もファミリー第一。母親のギッダも許しませんし、僕もファミリーはつねに一緒にいることが大事だと思います。マイクがプロになってからは離れて暮らしていますが、今も毎日電話で話していますよ」

 子供たちは転校や移籍を繰り返す羽目になったが、父に反発したことはほとんどないという。ただ、マイクは一度だけ「移籍なんかしたくない」と泣いたことがある。

 それは2002年12月、札幌U-15のエースとして、高円宮杯全日本ユース(U-15)決勝に挑んだ時だった。鹿島アントラーズジュニアユースに1-2で敗れたが、彼は札幌への強い愛着を再認識したようだ。しかしタイミングの悪いことに、この日が横浜への引っ越しの当日だった。すでに荷物は運び終わり、家族全員でマイクを応援した後、一緒に新居に向かうことになっていたのである。

「さすがにマイクは物凄く怒ってました。チームバスが出るのを見送って、千駄ヶ谷の駅まで歩いている時、『なんで今日引っ越すの? コンサドーレにはいっぱい友達がいるのに、なんでマリノスに入んなきゃいけないの?』って泣いて抗議してきたんです。

 札幌では6年間、友達と一緒にやってきたし、気持ちはよく分かりました。でも、関東に行った方がリーグ戦や練習試合のレベルも高いし、もっとうまくなれる。そのことを本人に説明して、何とか泣き止んだけど、つらそうでした。かわいそうなことをしてしまったと思ってます」と、父は10年前の息子の小さな反発を今も鮮明に覚えている。

【後編に続く】

初出:フットボールサミット第7回

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