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昨シーズン限りで現役生活に終止符を打った吉原宏太が語る、水戸への想い

昨シーズン、水戸ホーリーホックでプロ生活に終止符を打った吉原宏太。今回、水戸ホーリーホックの今を追うウエブマガジン『デイリーホリーホック』で行われたインタビューの前編を掲載します。

text by 佐藤拓也 photo by Takuya Sato, Yuko Yonemura

 高校選手権でスポットライトを浴び、札幌、G大阪、大宮と渡り歩いた吉原が、水戸にやってきたのは09年のこと。プロとしての集大成を見せるべく「自分のすべてを捧げる」と誓ってプレー。アキレス腱が切れるまで走り抜いた。

 そして、35度目の誕生日となった2013年2月2日、吉原宏太はプロ生活に終止符を打った。とにかく走り続けてきた吉原。17年のプロ生活、そして、水戸での4年間を振り返ってもらった。

ピッチには宝物が落ちている


【写真:米村優子】

――まずは現役生活、お疲れ様でした。

「みんなに言われるけど、そんなに疲れてない(笑)。お疲れ様でしたというのは、ちょっと違うというか、本当に楽しくできたし、その言葉が合わへんぐらいいい17年やったし。プロを17年やっただけで、サッカー人生はもっと長い。プロを目指して、プロになってから17年。その間、ずっと高い志でできたということだから、すごいことだよね。そういう生活が終わるということだよね。なんか……不思議な感覚ですよ」

――吉原選手が子供の頃はJリーグがなく、プロというものを現実的に考えられるようになったのは高校に入ってからだと思います。全国高校サッカー選手権大会に出場して、「プロになりたい」と猛アピールをして、実際にプロになったのは吉原選手が最初ですよね。

「そうだね。当時、大学からの誘いを蹴って、プロしか進路を考えずに突っ走れたのは若かったからだろうし、あのときの自信はみなぎっていた。そういうパワーがあったからプロになれたんだと思います。選手権で『これが俺の就職活動だ』と俺が言って、その後、俺の真似をしてそういうことを言う選手が毎年ではじめるようになった。そういう選手が出てくるのはうれしい反面、今のJリーグを見ると、『もうちょっと堅実的な道に行った方がいいよ』とアドバイスしたくなる(笑)」

――水戸に来てからも「ピッチには宝物が落ちている」といつも言っていました。本当にそういう人生を送ってきましたよね。

「そうやね。自分にはそれしかないぐらいの気持ちでやってきました。勉強ができへんかったし(笑)。そういう面では常に崖っぷちでやってきました。本当にサッカーに賭けて生きてきた。それしかなかったという感じなんですけど、そういう思いで、試合のピッチだけじゃなく、何気ない遊びのサッカーからそういう気持ちでやってきました。それはすごい大事だと思うんですよ。練習を死ぬ気でやるのは当たり前の話。たとえ練習環境が悪くても、そういう思いでやっていました」

――どこかにチャンスは落ちていると。

「そうそう。それを見つけるためにサッカーをしているわけなんですよ。いろんなプレーを試してみたりすると、それが実際の試合で生きてくる。グラウンドに立つからには未来につながると思って、どんな遊びでも必死にやるのがプロだと思っていました。引退するということは、そういう思いがなくなるということなんだと思います。これからはホンマに純粋にサッカーを楽しめるのかなと思っています。今まではピッチに立ったら、目の色が変わっていたと思う。笑いながらでも、違ったと思います」

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