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伊在住記者が警鐘「『パスサッカー』なる表面的な言葉が流布する日本サッカーは思考停止である」

パスサッカーという言葉をサッカーファンなら一度は聞いたことがあるはずだ。当たり前のようにメディアも使用してしまうが、よくよく考えるとおかしい言葉でないだろうか。イタリア在住記者が疑問を呈する。

text by 宮崎隆司 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography , Kenzaburo Matsuoka

違和感のある言葉「パスサッカー」

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『パスサッカー』とは一体なに?【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】

 あの日本VSイタリア、スペインVSイタリア、決勝のブラジルVSスペインなどのコンフェデ名勝負に心躍らせながら、またタヒチの清々しい健闘にサッカーの素晴らしさを改めて感じ入っていては大会の余韻に浸りながら、日本の躍進を半ば確信しつつ来年のW杯本大会へ思いを馳せていたのだが……。

 ところが、先のコンフェデ杯3連敗を受けて様々な論が交わされる中で、一部には「ザック解任論」まであるというから驚きであるし、その「変えれば何とかなる」的な、まるで“平蔵チック”な構造改革主義をも彷彿させる主張に件の余韻はかき消され、むしろ辟易とする毎日である。

 そして、その実に表層的にして無責任を極めるというべき「代案なき監督更迭論」や他の戦術論などでも決まって出てくるのが、日本は『パスサッカーを貫くべきである』とか、『いや、そのパスサッカーを見直すべきである』とか、『この程度のパスサッカーでは世界に通用しない』などというフレーズなのだが、これがどうにも私には分からない。

 一体なんなんですか、その“パスサッカー”とは?

 あのバルサとスペインに象徴される華麗なるサッカーを表す言葉であるとはもちろん承知しながらも、ここでは敢えて、その単語に対して異議を唱えさせていただく次第である。

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