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戦う気持ちを注入。監督になっても熱いラモス瑠偉(前編)

有名選手のセカンドキャリアは、世間には知られていないことも珍しくはない。例えば、タヒチで行われていたビーチサッカーW杯で、見事ベスト8入りを果たした日本代表。「砂のサムライ」と評されたこのチームを指揮しているのは、ラモス瑠偉監督だった。

text by 編集部 photo by junior soccer editorial staff

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戦う気持ちを注入。監督になっても熱いラモス瑠偉(前編)
引退後、チャリティーの試合などでプレーを披露している【写真:ジュニアサッカーを応援しよう!編集部】

 有名選手のセカンドキャリアは、世間には知られていないことも珍しくはない。例えば、タヒチで行われていたビーチサッカーW杯で、見事ベスト8入りを果たした日本代表。「砂のサムライ」と評されたこのチームを指揮しているのは、ラモス瑠偉監督だった。

 現役時代のラモス氏といえば、93年のJリーグ開幕時には、スター軍団・ヴェルディ川崎(当時)で三浦知良らとともに活躍。その実力のみならず、独特の風貌や口調も相まって、Jリーグブームを象徴する選手として人気を博していた存在だ。

 89年に日本国籍に帰化した後は、日本代表でも10番を背負ってチームをけん引。94年アメリカW杯アジア最終予選イラク戦では、あの「ドーハの悲劇」を体験。その場に座り込んで頭を抱え続ける姿は、サッカーファンならずともあまりに有名だ。

 現役を引退したのは98年。2005年にはビーチサッカー日本代表監督に就任しFIFAビーチサッカーワールドカップ2005リオデジャネイロ大会で4位入賞を果たしている。日本代表の躍進と監督としての手腕はFIFA の公式サイトでも紹介されたほどだ。2009年大会では元サッカー日本代表である前園真聖らを代表に招集し、ベスト8入り。そして今年9月に行われた2013年大会でもブラジルに敗れてしまったが、ベスト8入り。ビーチサッカーの代表監督として確かな手腕を発揮している。なによりも、選手達が強い気持ちをもって戦うチームを作りあげることのできる監督だと言えるだろう。

 なおビーチサッカーの監督として高い評価を受けているラモス氏だが、実はJリーグのクラブ監督経験もある。それは自身の古巣であるクラブである東京ヴェルディである。次回はこのときの手腕について紹介する。

【後編へ続く】

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