遠藤保仁――ガンバ・スタイルの真髄

ガンバを象徴する攻撃サッカーは、どのようにして生まれたのか。クラブに在籍して13シーズン目、主将・遠藤保仁に話を聞いた。

2013年10月22日(Tue)11時42分配信

text by 西部謙司 photo Kenji Yasuda
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【フットボールサミット第15回】掲載

4点とられたら、5点返し

 倍返しのサッカー。

 ガンバ大阪のサッカーとは何か、ひとことで表現するとそうなる。

 2点とられたら3点とるサッカー。このあたりまでは、まあないではない。ところが、遠藤保仁の口から出てきたのは、

「4点とられたら、5点とり返す」

 2点とられて3点と、4点とられて5点では同じようで全然違う。サッカーで4点とられたら普通は負けなのだ。タラでもレバでも、仮定の対象にしてはいけない失点数である。

 同じ1点差勝ちでも、失点の可能性に触れるなら2点までが常識的なセンだろう。もちろん5得点も現実的とはいえない。遠藤が2失点と4失点の違いに鈍感であるはずもなく、「4失点5得点のサッカー」は言い間違えたわけではない。

 2005年にリーグ優勝、2008年にACL制覇。そのころのG大阪には、「4点とられても5点とる」の気迫が満ちていたという。とられたらとり返す、やられたらやり返す、倍返しだ! というメンタルだ。

 ただ、最初からそうだったわけではない。

遠藤保仁――ガンバ・スタイルの真髄
クラブに在籍して13シーズン目、ガンバ大阪主将・遠藤保仁【写真:Kenji Yasuda】

――G大阪への移籍が2001年、チームにはどんな印象を持っていましたか?

遠藤 若くていい選手が揃っていて、3、4年後には間違いなく強くなるだろうなと思っていました。それが移籍した理由でもあります。ただ、やっているサッカー自体は失礼な言い方になりますけど、特別なスタイルはないという印象でした。そこは自分が変えていくというと大げさになっちゃいますけど、いい選手がいるんで変わっていくだろうと。

――特別なスタイルはない。

遠藤 特徴がない(笑)。そんなに守備をしっかりというわけでもなく、かといって超攻撃的でもなく、オーソドックスな4-4-2でやや攻撃的という感じですかね。

――ファーストステージが5位。稲本がアーセナルへ移籍して、セカンドステージが11位でした。監督も早野さんから竹本さんへ途中で交代しています。当時のポジションは?

遠藤 イナがいなくなってボランチになりましたけど、その前はトップ下ですね。ビタウが前をやるときにはボランチというのもありました。

――同じ年に山口智も入団していますね。

遠藤 僕とサトシが入って、当時の五輪世代がレギュラーを占めていく感じになりました。

――「自分のプレーを周囲に理解していただいた」と以前話していましたが、その環境が整っていたわけですね。

遠藤 ただ、すぐにではなくて時間はそれなりにかかりました。若手が多かったし、DFもツネさん(宮本恒靖)やサトシもいて、つなぐ技術はありましたし、わりと早く自分のプレースタイルを知ってもらえたかなとは思います。とはいえ、チームとしてはまだつなぐ意識よりも外を使って早く攻めるサッカーでしたね。

――2002年には西野監督になります。ただ、この年はまだG大阪の現在のスタイルではなかったですよね。

遠藤 全然違いましたよ。長身FWのマグロンをターゲットにしたロングボールが多かった。苦しくなったらマグロンに当てて、というか、逃げてという感じ。パスサッカーは浸透していませんでした。

 大きい選手が前にいると、どうしても苦しくなったら使っちゃうので、中盤でパスをもらう動きも質が落ちていく。大雑把になっていくんです。それにロングボール使うなら、MFは蹴る前に走っていないと間に合わないですから。つなぐ意識にはなりにくい。

――変化が起こったのは?

遠藤 僕の記憶が正しければ……マグロンがいなくなってからです(笑)。

――マグロンは2002年に入って、翌年も活躍しています。04年はケガもあってリーグ戦出場は10試合、その年に退団したので、実質的には03年までですかね。04年にはシジクレイとフェルナンジーニョが加入しています。ということは、ガンバ・スタイルの始まりは04年ですか。

遠藤 マグロンが出られなくなって、つなぐしかないなと。シジクレイ、フェルナンジーニョが入ってきてテクニカルになっていったのも確かです。まあ、その次の年のアラウージョがデカかったですけどね。

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