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Jリーグ 10年前

“難病Jリーガー”の挑戦は続く ~FC岐阜・杉山新という生き様~

text by 中西庸 photo by Matsunao Kokubo

喜びと悲しみの絶え間ない交錯

“難病Jリーガー”の挑戦は続く ~FC岐阜・杉山新という生き様~
杉山が送ってきた人生を棚卸ししてもらって思ったのは、なんとも起伏に富んだ人生だということだ【写真:Matsunao Kokubo】

 本書の執筆にあたり、彼が送ってきた人生を棚卸ししてもらって思ったのは、なんとも起伏に富んだ人生だということだ。

 柏ユースからは、同期の中でただ1人トップに昇格した。だが4年後には戦力外通告を受け、12歳から慣れ親しんだ日立台を去る。移籍先を見つけることはできたが、そこは当時「Jリーグのお荷物」と言われた貧乏クラブの甲府だった。

 そんなおんぼろチームが多士済々のメンツとともに上昇気流に乗り、彼自身もレギュラー格へ成長した矢先、不治の病が彼を襲う。一度は契約更新を断られるが、インスリン投与と食餌療法によって体調を維持し、再契約をつかみとる。この時に彼を支え、心の絆を深め合ったのが、いま彼の隣でほほえんでいる妻だ。

 ついに甲府は悲願のJ1へ昇格するが、2年後には降格。甲府から2度目の戦力外通告を受けた彼は、大宮に新天地を求める。しかし環境の変化からそれまでの体調管理が通用せずコンディション維持に苦しみ、J1通算100試合出場を花道に退団。横浜FCに草鞋を脱ぎ、あこがれのカズとチームメイトになれたと思ったら、ケガ続きで1年で戦力外。途方に暮れていたところ、大宮時代のヘッドコーチ・行徳浩二氏の誘いで岐阜に入団……。

 病気を除いても、これだけドラマチックな浮き沈みを経験した選手がどれだけいるだろうか。

 彼は、そんな自分の人生を本書の中でこう述べている。
──「捨てる神あれば拾う神あり」と言いますが、僕にはそれが同じ神様でした。きっとそれはサッカーの神様なのでしょう。──

 この一文を読んだとき、私は目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。

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