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サッカーから差別がなくなる日は来るか。依然として少ない同性愛カミングアウト

text by 鈴木肇 photo by Hajime Suzuki

カミングアウトで人生が狂ってしまった選手

 一方、男子に目を向けると、カミングアウトした選手はほぼ皆無といっていい。昨年9月にドイツでプレーする選手が匿名としてゲイであることを告白したが、実名で公表したのはこれまでわずか2人だ。

 男子サッカー選手が最初にカミングアウトしたのはいまから23年前のこと。イングランド出身のジャスティン・ファシャヌという選手だ。ナイジェリアのルーツを持つこの黒人プレーヤーは卓越したスピードと高い決定力を備えるFWとしてノーウィッチ・シティでゴールを量産。

 U-21イングランド代表にも選出されるなど徐々に頭角を現わし、1981年、100万ポンド以上の移籍金が発生した初の黒人選手として前年のUEFAチャンピオンズカップ覇者ノッティンガム・フォレストに活躍の場を移した。

 サッカー選手としての階段を順調に昇っているかに見えたファシャヌだが、ゲイという自らの性的指向がその後のキャリアを大きく狂わせてしまう。ノッティンガム・フォレストに加入した同年、定期的にゲイバーに足を運んでいるという話が広められてしまうと、チームでの練習を禁止されてしまうなど孤立し、わずか1年で名門クラブをあとにする。

 再起を目指したファシャヌだが、ゲイであるという噂が知れ渡ってしまうたびにチームを変え、その噂がイングランド中に広まると今度は米国に旅立ってプレーの機会を求めた。

 だが新天地でも大した活躍ができなかったファシャヌは、失意のうちにイングランドに帰国。サッカー選手として身を立てることができず経済的に困窮していた彼は、1990年、英紙『ザ・サン』にゲイであることを公表し、同紙から決して少なくはない金額を手に入れた。だがサッカー選手としてのファシャヌは完全に終焉し、そして1998年、その人生は悲劇的なかたちで幕を閉じる。

 同年3月、17歳の少年に対する性的暴行容疑で訴えられると、その約2ヶ月後、ロンドンのとあるガレージで首を吊って自らの命を絶った。

 ファシャヌは遺書のなかで暴行容疑を否定しているが、「同性愛者であるという理由で有罪にされるだろう」と記している。ファシャヌが有罪か無罪かどうかは当事者のみ知るところだが、ゲイという性的指向が彼の人生を狂わせたことは事実だろう。

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