「サッカー人生を10年前からやり直したい」。海外組の意識の高さに大きな衝撃を受けた前田遼一

ザックジャパンで長く1トップのレギュラーだった前田遼一。彼が代表に定着したのはザッケローニ体制になってからだった。アジアカップ優勝にも貢献するが、そこで彼が感じたのは海外組との違いだ。彼らから受けた刺激が前田の意識を変えることになった。

2014年01月06日(Mon)10時11分配信

text by 元川悦子 photo Asuka Kudo / Football Channel
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ザック体制になってから代表に定着

「サッカー人生を10年前からやり直したい」。海外組の意識の高さに大きな衝撃を受けた前田遼一
2007年8月のカメルーン戦で国際Aマッチデビューを飾った前田遼一【写真:工藤明日香/フットボールチャンネル】

 イビチャ・オシム監督が日本代表の指揮を執っていた2006年秋、初めてA代表に招集され、2007年8月のカメルーン戦で国際Aマッチデビューを飾った前田遼一。しかし相次ぐケガと人見知りの性格が災いし、なかなか代表に定着できなかった。

 岡田武史監督率いる日本代表時代にも何度か呼ばれ、いい動きを見せたものの、最終的に2010年南アフリカW杯メンバー23人からは落選。南アが終わった時、彼は29歳。ゼロから代表を狙うにはギリギリの年齢だったといっていい。

 それでも2009年Jリーグで20得点を挙げて自身初の得点王に輝き、2010年も得点王争いをリードしていたことで、ザッケローニ監督の目に留まり、新体制発足直後のアルゼンチン・韓国2連戦に招集され、アルゼンチン戦では途中出場、韓国戦では先発に名乗りを上げる。前田は上昇気流に乗りつつあった。

 彼にとって、2011年アジアカップは代表定着、そして1トップのスタメンの座を射止める千載一遇のチャンスだった。ザック監督はこの大会に向けて前田と李忠成の2人を抜擢。前田を先発、李をジョーカーという位置づけで使い始めた。

 だが、9日の初戦・ヨルダン戦は前半のみで下がり、13日の第2戦・シリア戦もGK川島永嗣の退場によって西川周作との交代を強いられる。指揮官の攻撃陣に対する信頼は、欧州でプレーする本田圭佑や香川真司、南アメンバーの松井大輔、岡崎慎司の方が上だった。

 その鬱憤を晴らすかのように、17日の第3戦・サウジアラビア戦で2ゴールを叩き出す。「結構外していたのでよかったです」と本人も安堵感をのぞかせた。

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