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本田圭佑 10年前

本田のミラン・デビューはなぜ遅れた? 6日の出場を阻んだ“法の壁”と厳しいメディカルチェック

ミラノ入りし、あとはデビュー戦を待つばかりとなった本田圭佑。だが、当初は6日にデビューするとの報道もあったが、一週間遅れることになった。手厚い歓迎から考えれば、すぐにデビューしてもおかしくないのだが、試合出場が遅れた要因は何だったのだろうか?

text by 神尾光臣 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography

6日デビューとの報道もあったが…

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「本田はアタランタ戦にデビューする」という情報もあったが…【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】

 4日、ついにイタリアはミラノに姿を現した本田圭佑。翌日にはメディカルチェック、そしてチームメイトにアレグリ監督、ガッリアーニ副会長らへの挨拶も終えた。

 ロシアでのシーズン終了後、日本でも体を動かしてコンディションを作り込み、4日の夜に到着した後は走ることも願い出たという。そうした姿勢はクラブ関係者を通してアレグリ監督の耳にも入っていたようで、まだ本田に会う前の5日の記者会見で「やる気を感じる。こういう気概があればチームにも早く溶け込める」と語っていた。

 もっとも、折角選手本人が体を作り上げてきたのであれば、もう少し前からイタリアに呼び寄せて、6日のアタランタ戦からベンチに入れる位のことは出来たはずではないのかという願望も生まれてしまう。

 一部報道では「本田はアタランタ戦にデビューする」という情報もあったが、ただこれは制度上無理な話だった。ガッリアーニ副会長以下ミランの関係者は、当初から「6日のデビューは難しいだろう」という見方をしていた。

 ならば、制度上何が本田の早期到着を阻んだのか。そしてデビューはおそらく12日のサッスオーロ戦と見られているが、本当にそうなるのか。この辺りの事情を紐解き、真のXデーに迫る事にしたい。

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