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Jリーグ 10年前

V・ファーレン長崎 貧乏クラブ奇跡の躍進。ローリスク・ローリターンの補強と独自のサッカースタイル

V・ファーレン長崎はお金を「持たざるクラブ」である。しかし、運動量を前面に押し出した独自のサッカースタイルで、昨シーズンはJ1昇格プレーオフ進出を果たした。3月10日発売、最新号の『サッカー批評issue67』(双葉社)では、長崎の高木琢也監督、服部順一GMへインタビューを敢行し、長崎スタイルが生まれた経緯を語ってもらった。一部を抜粋して掲載する。

text by 藤江直人 photo by editorial staff

【サッカー批評issue67】掲載

J1昇格プレーオフ進出につながった監督の一言

 うだるような暑さに見舞われた昨年8月中旬。J2戦線で開幕前の下馬評を覆す快進撃を演じてきたV・ファーレン長崎は、最大のエアポケットに陥っていた。2つの引き分けを含む5試合連続の勝ち星なし。しかも、18日にアウェイでアビスパ福岡に1対2と苦杯をなめてから、休む間もなく中2日で横浜FCをホームに迎えなければならない。

 仕切り直しとなる練習を前に、高木琢也監督はミーティングで初めて口にする言葉を選手たちに告げる。

V・ファーレン長崎 貧乏クラブ奇跡の躍進。ローリスク・ローリターンの補強と独自のサッカースタイル
長崎の高木琢也監督【写真:サッカー批評編集部】

「プレーオフ、出るぞ」

 失速したといっても、順位はJ1昇格プレーオフに進出できる6位に踏み止まっていた。残りは13試合。下を向く必要はない。高木監督が当時の心境を振り返る。

「こんなチャンスはないと思ったので。そのためには、選手たちにギアをもうひとつ入れて欲しかった」

 指揮官の檄が長崎を蘇生させる。横浜FC、ガイナーレ鳥取に連勝すると、9月1日にはアウェイで首位のガンバ大阪をも撃破。6位でフィニッシュし、J1昇格プレーオフにコマを進める勢いときっかけを自らの手でつかみとった。

 2012年12月、高木監督は生まれ故郷の長崎県に初めて誕生したJクラブを率いることを決めた。初年度の目標を12位以内と掲げたが、あくまでも「最高でその順位」という意味だったと苦笑いする。

「J2残留が一番の目標でした。選手の入れ替えやクラブの経験値を含めて、すべてが一からのスタート。ここで残留しないと、クラブの存続自体も危ないとも思いました。残留を目指しながら、地固めをしっかりとしていかなきゃいけないと」

 開幕時のチーム陣容は29人。JFLを制した前年のメンバーから8人が抜け、10人が新たに加わった。その大半が他クラブで戦力外を告げられ、高木監督のラブコールを受けて長崎入りを決めた選手だった。

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