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「自分たちのサッカー」とは何だったのか? ジーコ時代との相似点と日本代表を巡る8年周期の問題点

text by 宇都宮徹壱 photo by Getty Images

ザックの「自分たちのサッカー」

 またパーソナリティについても、親日的(ただし日本語は話せない)、協会やスポンサーに協力的、愛されキャラ、そして頑固、といった類似点を見ることができる。いささか穿った見方かもしれないが、これらの特徴は、むしろ人選にあたって協会が重視した条件だったのかもしれない。

 協会の人選という意味では、両者共に前任者のアンチテーゼからスタートしているという点も見逃せない。ジーコの場合、それまで管理主義的かつ協会と対立することも少なくなかった、トルシエ時代への否定が前提だったという説が有力。

 一方のザッケローニは、イビチャ・オシム時代からの「日本的なサッカーの構築」「攻撃サッカーの追求」という路線の継承ではあったものの、岡田前監督が本大会直前に突然「弱者のサッカー」に方向転換したこともあり、その意味ではやはり前任者のアンチテーゼであると言えた。

 かくして、協会から三顧の礼をもって迎えられた両監督には、さらにもうひとつ重要な共通項があったことを指摘しておきたい。それは耳あたりの良いキャッチフレーズである。ジーコの「自由と(選手の)自主性」。

 そしてザッケローニの「自分たちのサッカー」。それらのフレーズは、監督はもちろん選手からも、あるいは協会関係者、メディア、そしてサポーターに至るまで人口に膾炙していたものの、それがW杯の本大会で実現することは、残念ながらなかった。

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