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岡野俊一郎と金子勝彦が語る日本サッカー(その1)健全な組織の発展妨げた川淵氏の権力増大と院制

text by 藤江直人 photo by editorial staff

日本サッカー協会は役員育成が急務

岡野 もちろん負けたほうがいいと言っているのではなく、負けたときにいまの日本サッカー協会のあり方を時間をかけて反省することですね。もっとも、あるメディアの人に聞いたら、批判記事を書くと取材ができなくなると言っていた。これはおかしな話じゃないですか。

金子 いわゆる「出入り禁止」ですよね。執行部の中で権限を持っている方の責任を問うのは絶対に必要です。日本サッカー界は二度と同じ過ちを犯してはいけないんですけれども。

岡野 今後で言えば、日本人を監督にして育てるか、もしザッケローニ監督の後任に外国人を据えるのならば、W杯を経験した監督というのは最低条件になる。クラブチームを指揮したキャリアしか持っていない人は絶対にダメです。あとは組織内における人材の育成ですね。

 1948年に創刊された『現代用語の基礎知識』で僕はサッカーコーナーの巻頭言を担当しているんだけれども、ここ3年くらいは同じことを書いています。内容を要約すれば「選手の育成も大事だけれども、日本サッカー協会は役員の育成をもっとしっかりやれ」となりますね。

金子 申し訳ありません。最近は読んでおりませんでした。

岡野 巻頭言で書いたことはサッカー界だけでなく、今日のテーマである日本のテレビ中継にも通じると思うんですよね。

【その2につづく】

プロフィール

岡野俊一郎(おかの・しゅんいちろう)
1931年8月28日、東京都生まれ。東京大学卒業。1955年日本代表選手を経て、1961年日本ユース代表監督に就任。1964年東京五輪、1968年メキシコ五輪ではコーチとして参加し、メキシコ大会では銅メダルを獲得。1970~1971年には日本代表監督を務めた。1960~1990年、NHK、テレビ東京「ダイヤモンド・サッカー」の解説者として低迷期の日本サッカーを陰で支える。1965年、日本サッカーリーグの創設に関わり、1993年Jリーグの理事。また、日本サッカー協会では、理事、副会長として2002年FIFAW杯招致に尽力。1998年会長に就任し、大会を成功に導いた。FIFAでは、W杯組織委員会委員、オリンピックトーナメント組織委員会委員。また東アジアサッカー連盟初代会長を務めた。

金子勝彦(かねこ・かつひこ)
1934年8月30日、神奈川県生まれ。中央大学を卒業後、大阪毎日放送を経て、東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。1968年にスタートした「三菱ダイヤモンド・サッカー」などを担当し、40年以上にわたりサッカー中継の実況をつとめた「サッカー実況アナウンサー」の草分け。「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか」のフレーズで始まる「三菱ダイヤモンド・サッカー」は、当時、情報量の少なかった海外サッカーを紹介する「世界への窓」ともいえる唯一のテレビ番組であった。1974年には、日本史上初めてFIFAW杯が衛星生中継された西ドイツ大会の決勝戦を実況した。テレビ東京退社後も、フリーランスアナウンサーとして活躍。民間放送や衛星放送で、今も現役アナウンサーとして英プレミアリーグ等を担当。2002年Jリーグ特別功労賞受賞。2012年第9回日本サッカー殿堂入り。

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