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タミル・イーラムや南オセチア、ダルフールなど。FIFAから閉め出されている代表チームによる、もう一つのW杯

text by 実川元子 photo by 実川元子

参加メンバー全員が一つの共同体

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米国の支援団体とConIFAの尽力で参加したダルフール・ユナイテッドはサッカーが持つ素晴らしい力をメンバーたちに教えた

 そして優勝したのは、ダークホースだったカウンテア・デ・ニッサだ。正直、初戦の対エラン・バニン戦を観たときには、決勝まで行くとは予想しなかった。参加予定だったケベックがカナダサッカー協会ともめて直前に参加を取りやめたため、ニッサは4月半ばに急遽参加を表明。サッカー協会を設立するところから始めたという。

 ニース市の協力を得て、社会人リーグや学生から選手を選抜。初戦で敗れた直後から、クールダウンとは思えないほどの熱心さで練習し、2戦目で強豪パダーニアに逆転勝利して勢いに乗った後は快進撃。

 決勝戦はニース市内の会場で大勢の市民がパブリックビューイングで観戦し、優勝が決まった瞬間は大歓声があがった。「我らの代表チーム」が、地域共同体への誇りと一体感を抱かせた瞬間だった。

 米国のCNNをはじめ、フランス、英国、ドイツなど各国大手メディアが本大会を取り上げたが、その理由はチャドにあるダルフール難民キャンプ内の選抜チーム、ダルフール・ユナイテッドが参加したことにある。

 スーダン西部のダルフール地方で、ジャンジャウィードという民兵による非アラブ系住民の大量虐殺が始まったのが2003年。隣国チャドに逃れたダルフール難民のキャンプでは食糧も医療も不足し、難民たちがジャンジャウィードの襲撃に怯えながら暮らしてすでに10年以上がたつ。

 米国の支援組織i‐ACTと、ConIFAのメンバーたちの尽力で参加できたチームの中には、スパイクを初めてはいたという選手もいるくらいなので、チームは2桁失点を重ねて最下位で終わった。だが、ダルフール・ユナイテッドが参加したことは、ConIFAのメンバーにとっても非常に大きな意味と意義があった、とデュエルコップConIFA事務局長は言う。

「準優勝のエラン・バニンが表彰式でダルフールのユニフォームを着たことに見るように、ダルフール・ユナイテッドへの支援のもとに参加メンバーは一体感が持てた」

 ワールドフットボール・カップのスローガンは「サッカーでボーダー(国境、辺境、境界の意味)を越える橋を架ける」だ。ダルフール・ユナイテッドの選手たちを囲んで、オセット人、クルド人、アッシリア人など参加メンバーたちが記念撮影する様子を見ながら、この大会は、国境だけでなく、人種、民族や宗教の違いによって今世界に作られている境界に、人と人とをつなぐ橋を架けた、と思った。

 ConIFAは来年欧州のメンバーによるチャンピオンシップの開催を予定し、すでに準備に入っている。ワールドフットボール・カップも隔年で実施する予定だ。また「サッカーだけではなく、文化交流イベントや教育プログラムも実施していく。その一つとして、毎年60名の若者たちの交換留学プログラムがすでに動き出している」とブランド会長は言った。

 異なる文化に生きる人々をつなげる活動の一環としてスポーツがある――ConIFAの基本理念は国際的スポーツイベントの将来のあり方を示唆しているのではないか。

【了】

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