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アジア 10年前

ラオスリーグ得点王の日本人、本間和生。ハンガリーでもまれた“東欧のサムライ”、特異な環境が日本人離れのプレーを育む

text by 本多辰成 photo by Tatsunari Honda , Toyota FC

ハンガリーでもまれた“東欧のサムライ”

ラオスリーグ得点王の日本人、本間和生。ハンガリーでもまれた“東欧のサムライ”、特異な環境が日本人離れのプレーを育む
年明けてラオ・トヨタFCに入団が決まった本間和生【写真提供:ラオ・トヨタFC】

 本間が前所属クラブ、ハンガリーのヴェスプレームFCとの契約を終了したのは昨年6月30日。ハンガリー国内のクラブからのオファーもあったが契約には至らず、その後、他のヨーロッパ諸国とアジアの数カ国をまわったがなかなか折り合わなかった。

 ようやくラオ・トヨタFCへの入団が決まったのは年が明けてからのこと。ハンガリーのクラブとの契約が切れてから、半年が経過していた。初めてのアジアの地、それも日本人に馴染みの薄い未知の国だったが特に戸惑いはなかったという。

「アジアでやるのが初めてだからどう、というのはあまりありませんでした。レベルも全く分からない状況でしたけど、必要とされるところでやれれば幸せなことだと思っていたので」

 本間の歩んできた道を考えれば、新たな地での挑戦に迷いがないのもうなずける。埼玉・大宮東高を卒業後、リエゾン草津(現・ザスパクサツ群馬/当時・群馬県リーグ)などでプレーした後、22歳でヨーロッパへ。長くプレーしたハンガリーでは着実に結果を残し続け、無名の存在からリーグ内での確かな地位を確立した。

 ハンガリー1部リーグでプレーした日本人は未だに本間ただ一人と、独自の道を進んできた孤高のプロフットボーラーといえる。そんな本間のプレーを、今季前半戦はチームメイトとして間近で見ていた伊藤壇(シーズン中にリーグ内で移籍)はこう評する。

「海外でも、日本人のプレーを見ると『日本人ぽいな』とすぐにわかるんですが、和生のプレーはそれを全く感じないんですよね」

 東欧の屈強なサッカーにもまれ続けてきた異色のストライカー。その特異な経験で蓄積された点取り屋としての財産が、ラオスの地で爆発した。

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