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モウリーニョ「チェルシーを離れた日にトッテナムは私との契約を望んだ」

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ジョゼ・モウリーニョ監督【写真:FOOTBALL.BLUE】

 ジョゼ・モウリーニョ監督が1日に行われるトッテナムとのキャピタル・ワン・カップ決勝を前に、前回チェルシーを退団した日にトッテナムが自身の招へいを試みたと明かしている。

 トッテナムのチェアマンであるダニエル・レヴィ氏は、2007年にモウリーニョ監督がチェルシーで解任の憂き目に遭った際にアプローチしたという。だが、チェルシーとモウリーニョ監督が合意していた契約に阻まれた。

 モウリーニョ監督はウェンブリーでのトッテナム戦を前にした会見で、「私は行けなかった」、「2年はイングランドで監督をやることができなかったんだ」と話した。

 2007年9月、トッテナムを率いていたマルティン・ヨル監督は、レヴィ氏がモウリーニョ監督に近づいたとの話を、「くだらない」と一蹴していた。だが1カ月後、ヨル監督は解任され、後任にフアン・デ・ラモス監督が据えられた。同監督も1年ほどしかもたず、指揮はハリー・レドナップ監督に託された。

 モウリーニョ監督は「トッテナムには行っていなかっただろう」、「私はチェルシーのサポーターをすごく愛しているんだ」とも語っている。

 スパーズの干渉が、チェルシーからモウリーニョ監督への支払いを増やすことになったのはほぼ確かだろう。それは1800万ポンド(約24億円)にも達した。慣例的な12カ月ではなく、イングランドで2年間監督を務められないと修正されたのだ。そしてモウリーニョ監督は夏まで待ち、インテルへと向かった。

 2007年のリーグカップ決勝後、モウリーニョ監督はクラブのディレクターに5本の指を見せた。クラブで5つ目の主要タイトルということだ。プレミアリーグ優勝2回、リーグカップ優勝2回、そしてFAカップ制覇である。このジェスチャーがチェアマンのロマン・アブラモビッチ氏に反逆的と映り、両者の関係は悪化していった。

【了】

(※)本記事はインディペンデント紙との独占契約により、Football.Blueが日本での配信を行っています。

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