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セリエA 9年前

ミラン在籍16年、遠藤友則。ビッグクラブを支え、スター選手に愛された知られざる日本人メディカルトレーナーの軌跡

text by 小松孝 photo by Getty Images

かつては風間八宏ともチームメートだった遠藤

 そうしたことからも、ミランに在籍中だったマリオ・バロテッリ(現リバプール)は「困ったことがあったら、いつでも言ってくれよ」と遠藤の肩に優しく手をかけ、元ミランの選手からは、お忍びで治療の依頼がくることもある。

 遠くブラジルからは引退したカフーから、マッシモ・アンブロジーニから譲り受けたというi-padにメールが入り、現役選手のなかには、彼らが母国に一時帰国する際、自宅でも遠藤の治療が受けたいと、自らが用意したプライベートジェットやファーストクラスに遠藤を乗せることも少なくない。

 遠藤の特徴のひとつは、よくしゃべるが語らない。

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遠藤友則とフィリッポ・インザーギ監督

 というのも、いつもは饒舌の遠藤も、こうした武勇伝になると途端に口が重くなるからで、過去の実績や功績を語ることは、まずない。そのため時には宴席を持ちながら、唇を湿らせてもらったことも数多い。

 加えて、今から数年前、筆者が目の当たりにしたのは、16平方キロメートルにも及ぶ広大なミラネッロ(ミランの練習場)の敷地内で遠藤の横を歩いていたときのことだ。

 前方からこちらへ向かって歩いて来たロビーニョ(現サントス)が遠藤の姿を視界に捉えると、次の瞬間、顔中を親愛に満ち溢れた微笑みにしながら、すかさず左足を引きずる仕草をしたのである。

 1961年生まれの遠藤は、清水東高校に通っていた3年時、静岡県代表として風間八宏(現川崎フロンターレ監督)らとともに出場した宮崎国体で、試合中に致命的なタックルを受けてしまい(後に前十字靭帯断裂と判明)、そのまま退場を余儀なくされた。

 今でこそ前十字靭帯損傷や断裂という大怪我を負っても、その後、ピッチに復帰できる選手がほとんどだが、当時は十分な知識も医療もなかったため、遠藤は受傷直後に適切な治療が受けられなかったのである。

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