大家族のなかで競争意識を磨いた浅野拓磨のジュニア時代。自らのゴールでリオへ道を切り開けるか

リオデジャネイロオリンピック予選も兼ねたAFC・U-23選手権の準々決勝でU-23日本代表はU-23イラン代表と対戦する。日本代表の一人である浅野拓磨はジュニア時代どのように過ごしていたのだろうか。(『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.38』より一部転載)

2016年01月22日(Fri)11時02分配信

text by 元川悦子 photo Getty Images
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7人兄弟の3番目として賑やかに逞しく育つ

浅野拓磨
浅野拓磨【写真:Getty Images】

 広島で開催されたアジア大会で日本代表が準々決勝で韓国にまさかの苦杯を喫し、ブラジル人のパウロ・ロベルト・ファルカン監督解任騒動で日本サッカー界が揺れていた94年11月。浅野拓磨は三重県三重郡菰野町(こものちょう)で誕生した。浅野家にはこの時点で3つ上の長男・将輝さん、2つ上の次男・晃平さんがおり、元気な第3子誕生に一家は大いに沸いた。

「自分で道を切り開いて、自分を磨きながら前に進んでいってほしいという願いを込めて『拓磨』と名づけました」と母・都姉子さんは命名の由来を打ち明ける。

 その後、2つ下の四男・雄也さん(現・大阪体育大)、5つ下の五男・史也さん、7つ下の六男・快斗さん、17歳下の妹・心春ちゃんと4人の弟や妹が生まれ、浅野は7人兄弟の3番目として賑やかに逞しく育った。

「一番上のお兄ちゃんから一番下の弟まで10歳しか離れていないので、よく6人全員でサッカーやってました。家の和室でちっちゃいボールを蹴り合ったり、押し入れ目がけてPK合戦をやったりしたんで、今は押し入れの扉がない状態。部屋もボロボロですね。家の外の空き地でもサッカーしてたんで、よその車にぶつけるのはしょっちゅうでした」と浅野は幼い日々を懐かしそうに振り返る。

 彼の故郷・菰野町は三重県北西部、鈴鹿山脈の東麓に位置する人口約4万の小さな町。東側は四日市市、西側は滋賀県東近江市に隣接している県境の自治体だ。本人も「すごい田舎です」と苦笑いするように自然には事欠かず、幼少期は兄弟や友達と自転車で山や川に出かけて遊び回るのが常。家族構成も含めて、浅野は平成生まれにもかかわらず極めて昭和的な少年時代を送っていたのである。

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