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日本代表 8年前

どうなる五輪OA枠。適任は長友&岡崎? 勝つために必要なのは欧州組か、それとも…

text by 元川悦子 photo by Getty Images

失敗も成功も…過去の例は?

 過去のオーバーエイジ枠の選考を振り返ると、まずシドニーの時は楢崎正剛(名古屋)、森岡隆三(現京都U-18監督)、三浦淳宏(解説者)を抜擢した。

 彼らはフィリップ・トルシエ監督率いる当時の日本代表の軸を担っていたメンバー。指揮官は2002年日韓ワールドカップに向けて五輪とA代表を連動して強化しており、「単に足りないポジションを埋める」という観点から3人を決めていた。融合の部分も全く問題は生じなかった。

 アテネの時は小野伸二(札幌)と曽ヶ端準(鹿島)の2人。山本昌邦監督(現解説者)は99年ワールドユース(ナイジェリア)で準優勝した79年生まれの黄金世代の経験値を高く評価。その看板で当時代表常連だった彼ら2人と高原直泰(沖縄SV)を含めた3人を使おうとした。

 だが、高原が肺動脈決戦塞栓症を再発させ、小野も合流時期がギリギリで、溶け込む時間が少なく、チーム全体が機能したとは言い切れなかった。

 ロンドンの時は吉田麻也(サウサンプトン)と徳永悠平(FC東京)。関塚隆監督(現千葉)。北京五輪経験者でこの時すでにA代表の中心でリーダーシップを備えた吉田、アテネに出場していて守備ならどこでもこなせるマルチな能力を持つ徳永という選択は的中。彼らは準備期間が少なかったにもかかわらず、重要な戦力として大活躍した。

「オーバーエイジに選ばれる側としては、いきなり入って既存のチームを壊さず、戦術や特徴に合わせつつ、自分が持っている力を出すという大変さがある。僕が入ることで今までいた選手が外されるという厳しい現実もあり、行くべきかどうか相当悩んだ。行く以上はもし負けた場合、その責任を全て引き受けなければいけない。そういう覚悟を持って決断しました」と徳永は語っていた。

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