日本代表期待のストライカー・小林悠が語る、小学生時代に培った自らの武器

3月上旬に国内組のみで行われた代表合宿。そこから海外組が合流するW杯アジア二次予選を戦う日本代表メンバーに生き残った小林悠(川崎フロンターレ)。そんな小林悠の武器である、裏への抜け出しや、味方のパスを引き出す動き出しはどのようにして磨かれたのだろうか。(文:江藤高志 『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.34』より一部転載)

2016年03月26日(Sat)14時36分配信

text by 江藤高志 photo Getty Images
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基礎技術を徹底的に練習したジュニア世代

小林悠
小林悠【写真:Getty Images】

――率直に聞きますが、小林選手の武器は何でしょうか?

 動き出しですかね。裏への抜け出しもそうですし、足元で受けるときもうまくタイミングで動き出すことを意識しています。

――確かに小林選手の動き出しは見事だと思いますが、それは子どものころから同じなのでしょうか?

 ジュニア年代と今とでは全然違っています。子どもの頃はパスするのが好きなタイプでした。ポジションもトップ下だったので、どちらかというとゴールを奪うよりもパスして決めてもらうほうに喜びを感じていました。

――そんな小林選手はジュニア時代にどんな練習をしていたのでしょうか?

 基本的な練習が凄く多くて、小学校のころはリフティングばかりやっていた記憶があります。リフティングでボールを落とさずに50メートルくらいあるグラウンドを往復できないと練習をさせてもらえませんでした(笑)。

――それは鍛えられますね。

 もともと保育園の年長の時に町田SSSというクラブに入ったのですが、ここも含めた7クラブからの選抜という形で町田JFCというチームがあってここに入っていました。町田SSSでの練習に加えて、町田JFCの練習が週に2回くらいあってリフティングでグラウンドを往復するというのは町田JFCのときのことです。通常JFCに入れるのは小学校5・6年生だけだったんですが、僕は4年生のときから飛び級で選ばれていました。

――リフティングは簡単にできたのですか?

 最初はできなかったですし、個人的に基礎的な練習をしたかったので、仲の良かった友達と、朝6時ごろに起きて近所の公園で毎日1時間くらい自主練習をしていました。今、栃木SCにいる達也(小野寺選手)と学校に行く前の時間を使ってやっていました。あれは小学校3年か4年くらいからだったと思いますが、小学校を卒業するまでは毎日やっていました。

――リフティングはどれだけ上達したのでしょうか?

 自主練で何回できるのかというのを競うようにやっていたこともあって、達也はリフティングがめちゃくちゃうまくなりました。毎年初蹴りでリフティング大会というのがあるんですが、達也が毎年1位で、僕はいつも2位でした。自分は小学校の時に1000回くらいできましたが、達也は5000回くらいやっていました。

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