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AマドリーからRマドリーへ、禁断の移籍を経験した番記者。残酷な異動、禁じ得なかった動揺

“禁断”の移籍。根強いライバル関係にあるクラブ間を行き来することを、そう呼ぶことがある。選手を引き抜かれた側のサポーターは出ていった選手を「守銭奴」呼ばわりし、その選手が憎きライバルのユニフォームを身にまとってホームスタジアムにやってくれば口笛を鳴らす。スペインの首都マドリッドに拠点を構える2クラブはその最たる例の一つであろう。2015-16シーズン、その“禁断”の移籍を経験したスペイン「マルカ紙」の記者が、CL決勝を前にその本音を綴った。(文:ダビド・ガルシア・メディーナ/翻訳:江間慎一郎)

text by ダビド・ガルシア・メディーナ photo by Getty Images

青天の霹靂だった番記者としての移籍

 禁断の移籍は容易ではない。赤白から純白のユニフォームに着替えるというのは、決して簡単なことではないのである。

 スペインの首都マドリッドに引かれた、アトレティコ・マドリーとレアル・マドリーを隔てる境界線。ウーゴ・サンチェスをはじめ、その境界線を越えた選手は何人か存在している。が、境界線沿いの厳重な警備を目の当たりにして、あきらめざるを得なかった選手も数知れない。

 最後のケースは、クン・アグエロだ。アトレティコのミゲル・アンヘル・ヒル・マリンCEOは、自チームのスター選手であった彼のマドリー移籍を食い止めるため、ファンの反感を買わぬためにありとあらゆる手段を講じた。マドリー会長フロレンティーノ・ペレスがヒル・マリンを説き伏せることはついにかなわず、アグエロはマンチェスター・シティ移籍で納得するほかなかったのだ。

 けれども、今から書き綴る禁断の移籍の物語は、ボールの扱い手として何百万ユーロも稼ぐスタジアムの英雄のものではない。スペインのスポーツ新聞『マルカ』で、何年にもわたってアトレティコを追い続けながら、永遠のライバルの番記者になった一記者、すなわち筆者ダビド・ガルシア・メディーナ自身の話である。

 マドリッドに本拠を構える『マルカ』編集部には、マドリッドを代表する2クラブであるマドリーとアトレティコのセクションがあるが、私は2015年10月にアトレティコからマドリーのセクションに異動することを命じられた。理由は「仕事ができるから」ということだったが、私は動揺を禁じ得なかった。

 この文章の訳者であり、情報の加筆や構成など、気の利いたこともしてくれる私の友人シン(江間慎一郎、マドリッドで記者、翻訳者として活動)ならば、その心情を理解してくれるだろう(だから、こんな記事を依頼されたのだが、まったく……)。あれは私がアトレティコ番記者として、マドリーの本拠地サンティアゴ・ベルナベウでのマドリッドダービーを取材していたときだった。

 アトレティコがビハインドを負っているとき、横に座るシンからマドリーの話題を持ちかけられ、「俺にマドリーなんて言葉を口にするな!」と返して言い合いに発展したのだった。そんな私がマドリーの番記者になるなど……。青天の霹靂もいいところだ。

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