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東京Vの“マスター”永井秀樹が語る最高のスパイク「メイド・イン・ジャパンの凄味を痛感」【SPIKE WARS】―④

遠い昔、まだラモス瑠偉がルイ・ゴンサウヴェス・ラモス・ソブリーニョだったころ、彼の所属する読売クラブが国士舘大学と練習試合をしたことがあった。試合後、ラモスはチームメイトの武田修宏に命じた。「いますぐ大学辞めてウチのチームに来いってあの選手に言ってこい! あれは天才だよ!」――。それから25年。ラモスをして天才といわしめた男、永井秀樹は目下、三浦知良に次ぐ日本で二番目に経験豊富なJリーガーである。この企画は、サッカー界の表も裏も知り尽くした男マスター・ナガイに、メーカーの枠組みを超えて各社のスパイクを試し履きしてもらい、その寸評とジャッジを公にしてしまおうという、おそらくは世界でも初めての試みなのである。今回は第4話をお届けする。

シリーズ:永井秀樹が語る最高のスパイク text by キングギア photo by King Gear

永井秀樹が語る最高のスパイク

永井
東京ヴェルディの永井秀樹が選ぶ最高のスパイクは?【写真提供:キングギア】

──マスター・ナガイ、次はどれで参りましょうか。

マスター永井 「アシックス、行ってみようかな」

──ちなみにマスター・ナガイはアシックスを履いたことは?

マスター永井 「プロになってからはない。でも、初めて高校選手権で優勝した時は、アシックス履いてた」

──もともとはプーマっ子だったわけですよね。

マスター永井 「そらそうでしょ。なんたってディエゴ・アルマンド・マラドーナに憧れて育った世代だから」

──(パラパラパラと資料をチェック)あ、ホントだ。

マスター永井 「何が」

──いや、マスター・ナガイがホントにプーマっ子だったかを確認すべく、古いサッカー・マガジンをチェックしていたのですが、85年11月号の27ページに載ってました。

マスター永井 「だから何が」

──第16回全国中学校大会決勝。明野中対清水第五中。4-2で明野の勝利。坊主頭の清水五中の選手を軽やかなドリブルでかわす写真が掲載されております。スパイクは確かにプーマ。形状から推測するにオーソドックスなモデルですが、当時大流行したいわゆる“白ベロ”ではないようです。

「懐かしいねえ。ちなみにこの時の俺らの監督が、後にU-17の日本代表監督になる吉武先生ね。決勝戦のハーフタイム、向こうの学校は直立不動で監督の指示聞いてるんだけど、こっちは吉武先生が“座って少しでも疲れをとれ”って。今では当たり前のことだけど、あの当時、そういう考え方をしてる指導者ってほとんどいなかったからね」

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