前回までのあらすじ

パラグアイのクラブ「リベルタ」に所属する日本人サッカー選手「群青叶(ぐんじょう・かなえ)」は、南米大陸二大カップ戦のひとつ、コパ・スダメリカーナ遠征に参加。コロンビア西岸の都市カリにてベスト8進出をかけた決勝ラウンドに臨んだ。この試合でPKを外し、サッカー賭博に大番狂わせの結果を招いた群青は、大量の資金流出を余儀なくされた麻薬密売組織の怒りを買い拉致されるが、東京のプロサッカークラブ「銀星倶楽部」常務、松重崇(まつしげ・たかし)によって救い出され、帰国する。

「銀星倶楽部」オーナー上水流領(かみずる・かなめ)の死後、群青は同クラブの社長に就任。経営危機に揺れるクラブの再建に乗り出す。
しかしカジミエシュ・チェシュラック監督の更迭とライバルであるインテルクルービによる彼の「強奪」、銀星倶楽部の女子部にあたるGEKKOコンピュータシステムサッカー部の解散とそれを批難するキャプテン栢本里昴(かやもと・りよん)の出現、インテルクルービへのスタジアムの優先使用権譲渡など、いくつもの予期せぬ出来事にさらされ、新米社長の群青はうろたえるばかり。

問題解決を迫られる群青は、三軒茶屋で地元の愚連隊を取り仕切る男にしてスーパーマーケットチェーンの経営者、山田(やまだ)と出会う。彼なりの目論見で群青を援助したいと申し出てきた山田が知恵袋として呼んだ若い女子ホッケー選手、ミダイは、話し合いのためにやってきた里昴から、チームメイトに「蓮田(はすだ)チカ」がいると聞き、激しく動揺。血相を変え、チカに逢わせてくれと里昴に懇願する。
銀星倶楽部女子部の練習場を訪れたミダイは過去にけがを負わせたことをチカに謝ると、チカはこれを受け容れた。

ミダイと入れ替わりに外国人の少女――タチアナ、アリョーナ、サビーナ――がグラウンドに姿をあらわす。インテルクルービの練習と場所をまちがえたのだ。里昴のはからいでいっしょに練習をすることになったが、負けん気の強いチカとタチアナがとっくみあいの喧嘩を始めてしまう。群青が仲裁して事なきを得ると、腹違いの姉でありインテルクルービ専務の上水流奏(かみずる・かなで)がタチアナたちを迎えに来た。
少女たちとともに車に乗せられた群青は、そこで奏から、銀星倶楽部強化部長の柳川(やながわ)が選手の移籍に際して不当に利益を得ていたことを知らされる。チェシュラックが銀星倶楽部を去り際に告げていたことはほんとうだったのだ。

逃亡を図るべく成田空港から飛行機に乗ろうとしていた柳川を、群青と奏は間一髪で捉える。しかしその代償に選手獲得ルートを失ってしまった。
ミダイのコネクションもあり、なんとかホームスタジアムを確保して開幕を迎えた銀星倶楽部だったが、セレクションで獲得した訳ありの選手と高卒新人ばかりのチームを新任の監督老松尚之(おいまつ・なおゆき)はまとめきれず、銀星倶楽部は第一節にしていきなり崩壊寸前に陥る。そして群青は残留の可能性がかぎりなく低い現実を思い知るのだった。

第七話 がらくたを縮小Shrink Crap

tedd02bn ジプシーとなって都内、都下、時に埼玉や神奈川を彷徨う銀星倶楽部女子部の、きょうの練習場は国立市の河川敷公園サッカー場だった。
 黒いヘッドギアと、それに似つかわしくない空色のピンタックフリルワンピースを身につけたちいさな女の子が、土手から練習を見守っている。ワンピースはすっきりしたデザインで、スリムな体型を際立たせていた。
 うしろ姿でも誰かは見当がつく。
「具合はどう」と訊ねるとチカは振り返り、人差し指と親指で丸をつくって「ばっちりです」と言う。
 このほど実用化された新型人工内耳の取り付け手術に踏み切ったのは一カ月前のことだ。チカは医師と医療機器メーカーの話をよく聞き、自分ひとりで決断した。保険が適用されることで金銭面での不安はない。障害者資格とろう者サッカー公式戦での扱いがどうなるかは未定だが、タチアナと戦い勝つことが目標になったいま、迷う理由はなかった。
 ナノテクノロジーを応用し、生命工学や生体工学の粋を尽くした新型人工内耳は、外部装置をいっさい必要としない。そればかりか生体部品を使用して衝撃にも強く、サッカーをプレーするうえでの障害となることもない。
 中途失聴者であるチカはもともと発音をよく憶えていて話す機能の回復が早い。この調子だと、聴力も軽度の聴覚障害者と同じと言えるくらいになってきているようだ。副作用を観察する必要はあるが、心配よりも得るもののほうが多い施術だった。
 全治は五週間、もう少しするとヘッドギアを外せる。もっとも、用心には用心を重ね、復帰してもしばらくはヘッドギアを付けてプレーするように、と医師には命じられている。
「みんなは秋のカップ戦に間に合えばいい、ゆっくりしろって言うんですけど、ポジションなくなっちゃうんじゃないかって心配で」
 チカはそう言ってはにかんだ。かわいかった。これまではじっくりと彼女の顔を見たことがなく意識していなかったのだけれど、間近で見るとはっとさせられる。睫毛が長くぱっちりとした二重の眼を開いて笑う彼女は、かなりの美少女と言っていい。
「みんな心配してるんだよ」
「そうでしょうか」
 心なしか口調がおとなびて、実年齢――ことしで二二歳――にふさわしい会話になってきている。もともとこういう話し方だったのだろうか。
 そんなことを考えていると、ぼくが見惚れていることに気づいたのか、チカはいたずらっぽい上目遣いでこちらを睨んできた。
「何?」
「いいんですけど、見つめる相手がちがうんじゃないですか」
「それはどういう……」
 するとチカは苦笑いをした。
「きょう元気がないんですよ、里昴。桜花おうかさんもいるから何かあっても大丈夫だとは思うんですけど……ちょっと気にしてみてもらえますか」
 里昴たち一六人の旧GEKKOコンピュータシステムサッカー部メンバーは、年明けに消える運命だった世田谷区のクラブチームFCイグラ深沢に合流、その七人と合体してチーム名を銀星倶楽部女子部に変更、二〇二九年シーズンを戦うことになった。里昴は深沢のキャプテン、琴川ことがわ桜花に指揮を任せようと思ったのだけれど、いちばん有能な選手が引っ張るべきだと譲り返され、持ち上げられて、そのまま新チームのキャプテンになった。それからはいつも副キャプテンへと立場を変えた桜花が脇で里昴を支えている。イグラ組との融和がうまくいかずに不仲で悩むということはないはずだ。
 グラウンドを見ると、里昴は真剣にやろうとはしているものの、足にボールがつかず、顔色も冴えない。桜花もさりげなく、ときおり声をかけてはいるが、それで不安が取り除かれるわけではないようだ。
「そうだね。あとでちょっと話してみるよ」
 三〇分ほどすると練習が終わった。いちばん早く着替えて帰ろうとする里昴は、ぼくの姿を見て足を止める。
「何か用?」
「うん。女子部の様子はどうか気になって。よかったらお昼でもと思ったんだけれど」
「……ありがたいけれど、ごめん。急いでいるから」
 そう言うと里昴は振り返らずに去っていった。
「おやおや、ふられましたなぁ」
 丈の短いぴったりとしたTシャツ。スキニジーンズはくるぶしまで捲っている。黒い革の短靴。耳にピアス。短い金髪──いつもは立てているが、いまは水を被って寝ている──をタオルでほぐしている。琴川桜花だ。
「やめてくださいよ、桜花さん」
「桜花さん?」
 桜花に睨まれた。ぼくよりも二歳年下の彼女は、いつでも女の子扱いしろと度々要求してきている。迫力からすると受け容れがたいことだけれど、言うとおりにしないと怒られそうな気配があった。
「……桜花ちゃん」
「その前から」桜花はぴしゃりと言う。
 ぼくは息を整えて台詞を考える。
「やめてくれよ、桜花ちゃん」
「よろしい。で、何? 叶くん。きょうは」
「うん。里昴、どうかしたのかな。気に病むことがあるような様子だったけれど」
「ああ」桜花は空を仰いでうかない顔になる。「何かあるのはあんたもわかったと思うけど、それがなんなのか話してくれなくて。事情もわからぬままに出しゃばらないほうがいいとは思うし、どうしたもんだか……」
「心配?」ぼくは桜花に訊ねた。
「ああ。あんたは?」
「もちろん」
 心配は心配だけれど、こうして新しいチームで新しい仲間にもちゃんと慕われているようで、その点では少し安心できた。
「まあでも、みんなと仲がいいみたいでよかった」
 ぼくがそう言うと桜花は軽く微笑む。
「半分は自然となかよくなったんだけど、半分は意識してやってる。きれいごとじゃなくて競技の特性としてチームワークが必要だものね……大昔はどうだったか知らないけど、少なくともいまは、時間もスペースもないから、ひとりで全部をやるようなことはない。その分、全員が同じ画を思い描いていないとサッカーにならない。思い遣る、助け合う。それが大事なんじゃないのかね」
 ふざけた調子が消えてキャプテンらしくなった。感心するぼくの足許で、鞄に入ったスマートフォンが振動する。山田からだ。
《聞いてるか、栢本のこと》
《なんです?》
《うちの店を辞めたらしい。いまからこっちに詫びに来るって》
 それをそのまま伝えると、桜花は「行ってこい!」とぼくを叱咤する。
「わかった」
 ところがあわてて走り出そうとすると、桜花は、
「あっ、やっぱストップ!」
 急な呼びかけに、少し足がもつれそうになる。
「ええっ? 今度は何」急がないといけないし、急かしたのは桜花なのに――不満を隠さずに振り返ったぼくに、桜花は低姿勢で、お願いごとをするように近寄る。そしてぼくの首に手を廻し、耳を自分の口許に引っ張った。
「ごめんごめん、あのさ……」

 

 事務所に入ってきた里昴は待ちわびたぼくを見て戸惑っていた。先回りするとは知らなかったのだから当たり前だけれど。
 山田が目尻を下げ、いかにも申し訳ないという雰囲気を漂わせて「すまん。おれが話した」と言うと、里昴は短くため息をついて椅子に座る。そして荷物を置くと床に頭をこすりつけて土下座をした。
 頭を上げてくれないかと山田が頼んでも、里昴は首をふって「せっかくお仕事を世話していただいたのに、申し訳ありませんでした」と言って突っ伏している。
 しばらく経ち、山田の説得を聞き入れて顔を上げた里昴は、スーパーの勤めを辞めるに到った理由を途切れとぎれに話した。
 きのう、里昴は行き交うひとの少ない区域で公園のトイレに引きずりこまれようとしていた女子高生に出くわし、彼女を助けるために暴漢を殴りけがを負わせた。さいわい、すったもんだが長引いたせいか目撃者があらわれて里昴は無罪放免となったが、乱暴を働いたサラリーマンがくしくも里昴の同僚の夫だったことで、事態はこじれた。その同僚が「おまえがたぶらかしたんだろう」などと異常な剣幕で言いがかりをつけてきたのだ。通報を受けた勤務先の会社では男を解雇した。そのことに対する怒りもあったのだろう。里昴が勤める支店には銀星倶楽部女子部のチームメイトはほかにいない。メンバーは自分ひとりであとに残されたチームメイトが困ることもないからと、煩わしい揉め事を避けるために、練習前のけさ、辞表を提出したのだという。
 独白を聞き、女のやっかみは怖いな、という程度に考えた。すらっとした体型の金髪美人が職場に紛れ込んで嫉妬を招かないはずがない――。
 それは浅かった。
「わたし、いないほうがいいの?」里昴の声にふるえがまじっている。「ビッチとか泥棒猫とか、そんなありふれた罵りだったらがまんできるわよ。でも、白ブタとか、デカ女とかって、なんなの?」
 興奮で声が上ずりはじめた。喋り方を制御できないほどの取り乱しようを示すのは最初に逢ったとき以来のことだ。
「きみは悪くないよ」
「当たり前でしょう」
「ごめん」何か言わなければと思い、言葉を探す。「肌が黒い友だちはドイツのチームで白人のキャプテンにハブられて、怒ったらいっしょに練習するようになった。ぼくは南米でチーノと言われたけれど、無視するか言い返した。いていいんだ。悪いことはない」
「わたしだって好きで日本にいるんじゃない」下を向いて表情は見えないが、里昴の声の響きが冷たいことはわかった。「両親がけんかしていて、そうしたらいつの間にか孤児院にいて、引き取られて、気がついたらここにいたのよ。言葉だって日本語しかわからない。でも何か外国語を喋れるんだろうと思って話しかけられるし、英語がへたくそだと日本人にもばかにされる。ちょっと背が高いだけでガリバーみたいに言われるし。バレーやバスケの選手に比べたらわたしの背なんて低いほうなのに」
「チームメイトはそんなことを言うかな。チカや桜花は」
「言わないわよ。言うわけがない」
「そこがきみの居場所なんだろう。ちゃんといるべきところがあるんだから、自分はいらない人間だなんて思わなくていいんだよ」
「それは同じサッカーをする仲間だからよ。サッカーに関係のない出逢い方をしていたらどうなるかわからない」
「なら、いいじゃないか。サッカーの世界にいるかぎり、きみは守られる」何かに気づいたように顔を上げ、里昴はぼくを見た。「サッカーでは人種も国籍も関係ない。誰かに不当なことを言われるかもしれないけれど、そのときには誰かが反論して味方になってくれる」
「味方って誰よ」
「たとえば……桜花とか」
 ぼくがそこまで言うと、ギイ、という音がしてドアが開いた。桜花が立っていた。
「……」
 里昴はぼくを見たときの比ではない驚きに大きく眼を開いている。
「廊下で全部聞かせてもらった」桜花は自分より一四センチも背が高い里昴の首に手を廻し、強く抱きしめた。「ごめん、いままで全部任せっきりで。正直に言うと、ちょっと楽がしたくてあんたにキャプテンを任せたんだけど、チカを守って、あたしらのためにも働いてじゃ、疲れちゃうよね。これからはあたしがキャプテンやるから、あんたは副キャプテンでよろしく。そんで、時々甘えていいから」
「……ありがとう」里昴は眼を伏せ、優しい顔になった。
「いや、あたしが悪かった。もっとがんばるよ。あと、叶くんと相談したんだけどさ、銀星倶楽部の事務所、バイトが辞めて欠員ができたんだって。あんたやんなよ」何も言えないでいる里昴を放すと、桜花は手の置きどころに困りながらつづける。「あん、急すぎてあれか……でも、問題ないでしょ。たぶんヤなやつもいないし。ねえ、叶くん」
 里昴は顔をきりっとさせてこちらを向いた。
「いいの?」
「え? 何が」
「チームがない、仕事がないって、いつもわめいて、迷惑かけどおしで、全部やってもらって」
 桜花が割って入ってくる。
「ちっちっち。何言ってんだかな、里昴ちゃんは。いっぱいミスして、いっぱい助けてもらうのがサッカーでしょうが」
 うらやましいほどコミュニケーションに長けた桜花の言葉にぶら下がるように、ぼくも付け足す。
「貸しとかじゃないよ。みんなに仕事に就いてもらうまでが準備だから」
 包囲網だ。この場の雰囲気としては、結論は決まっている。
 少し考えてから里昴は決断した。
「なら、面接だけでも受けさせてもらっていいかしら。だめだったら、ちゃんと落としてもらってかまわないから」
「ああ」ぼくはことの成り行きに安堵して息を吐いた。「もちろんだとも」
 面接に応じた総務の坂下頼子さかしたよりこは「まじめなところがいい」と言ってOKを出した。裏方で書類や荷物、PCに向かう業務がほとんどで対人ストレスも少ない。何より外国人に慣れている社員ばかりだから、本来ある能力を損なわずに働けるだろうというのが頼子の読みだった。
 頼子は女のよしみで聞き出した情報として、里昴に身寄りのない理由が、孤児院から拾ってくれた育ての親が実刑判決を受けて収監中だということが気にかかると打ち明けてくれた。
 いったいどんな罪を犯したのか。それも彼女の重荷になっているのではないか。
 だからといって頑なに世間やぼくらと交わることを拒まれても困るけれど、寛大に見守る必要はあるだろう。
 さっそく事務所の風景に溶け込んだ里昴は荷物整理の手伝いをするべく、段ボール箱を運んでいる。
「手伝おうか」
「けっこうです。わたしの仕事を奪う気?」
「いや、そんなんじゃないけれど……」
 彼女を相手にすると、ぼくはいつも、もごもごと喋るはめに陥る。
 里昴は段ボール箱を脇に置き、ため息を吐いた。
「あのね。仕事を斡旋してもらったことにはありがたく感謝しているけれど、ちゃんと雇用関係が成立してわたしは身分と仕事内容に納得しているし、その範囲で働いているかぎり、よけいな気遣いをされる必要はないの」
「はい」
「わかった?」
「はい」
「どうだか……まあでも、手伝ってもらえるのは助かるわ。それ、二個持って」
「なんだよ、頼むのか」
「うん……」ぼくの何気ない抗議に、里昴の口許は嬉しげな弧を描く。「社長をこきつかうバイトなんて、前代未聞ね」
 彼女がまともに笑った顔をはじめて見た気がした。
 少々重い段ボール箱を倉庫に置いて何往復か、最後の荷物を置いて戻る途中、窓の外を見る。事務所と公営のグラウンドは離れているから練習が見えるわけではないのだけれど、ちゃんとやっているかどうか、つい考えてしまう。
「練習が気になる?」
「あ、いや……その……」里昴を蔑ろにしたような気になり、ぼくは言いよどんだ。
「いいわよ、行ってきて。べつに子どもじゃないんだから、全部付き添ってもらわなくても」すっかり平穏を取り戻した感じで里昴は言う。「たいへんなんでしょう、男子のほう……クラブの運命がかかっているんだし」

 

 トップチームは次の試合のキックオフ時刻に合わせて設定された午後練習に取り組んでいた。
 攻撃側のスパーリングが目的のメニューで、守備側はボールを獲りに行く姿勢をとるまでが仕事なのに、その指示が十分に伝わらず、本気でプレッシャーをかけてボールを奪ってしまう。当然そこでプレーは途切れる。老松は怒ったが、選手はけろっとしていた。
 正確には、淡々と練習をつづけていたのは、俗にサブ組と言われるセカンドチームの選手たちだけだ。ファーストチームの選手たちは浮かない顔をしている。
 次節の対戦相手のフォーメーションと戦術をそっくり真似てファーストチームに立ち向かうこと自体の面白みは練習への意欲に転換しうるかもしれない。しかしセカンドチームの選手たちが平静でいられるうえでもっとも大きな支えとなっているのは、メンタル面を含めてよく彼らの面倒を見ている、アシスタント格のコーチ、久米田くめたの存在だった。出場機会がなければ選手は腐る。そこを腐らせないよう力を高め、維持させるのが仕事だから、彼も必死だ。それが選手たちに伝わり、セカンドチームの士気を維持していた。
 やることなすことうまくいかず自信を失っているファーストチームは、紅白戦の度にセカンドチームに敗れた。それでも先発メンバーは変わらなかった。老松の戦術に関係なく創造的な攻撃でゴールを量産するセカンドチームの姿は老松の全否定とも言えた。
 老松は自分の失敗を認めない。いまやろうとしているサッカーにはこのメンバーが重要で、このメンバーだからこそこの戦術なのだと、何度も同じ言葉を繰り返すだけだ。
 開幕以来無得点の浅沼は9番の重圧に苦しんでいる。
 ぼくから見てもそうとう巧い左利きの南部なんぶは、その利き足ゆえに左サイドバックで重宝されている。中盤を希望する本人は苦い顔で九〇分間を過ごすのみだ。
 ましてきょうの練習では、高校を卒業したてで元気いっぱいのアオが、造反して干されている楠本のかわりに左サイドハーフに入っていた。実際にはサイドハーフのほうがハードワーク専門になるとはいえ、自分より経験も技術もない後輩が前目のポジションで先発するとなれば、サイドバックに押し込められた南部はおもしろくはないはずだ。
 別にサイドバックへのコンバート自体が悪いわけではない。サイドハーフよりもサイドバックのほうが技術を発揮できるぞと説いて納得させてからやらせればいいのに、老松はそういうケアを一切しなかった。選手に擦り寄ることになるとでも考えているのだろうか。
 理由がなんであれ、使われなければ、控えに廻った選手は「あの野郎、ぶっ殺してやる」と、心のなかでつぶやいてもおかしくない精神状態になる。その反発力が成長につながる場合もあるとはいえ、話をすることは大事だと思うのだけれど――。
 トイレの個室で考え事をしていると、選手たちが入ってきた。声だけでは確証ができないけれど、たぶんベテランのいそみなとだろう。ふたりとも老松の構想の外だ。人数不足だから別メニューにこそならないが、ベンチ入りの可能性は一〇〇パーセントない。
「あんな、ずるずる下がる相手のラインに合わせてヨコに廻しててもな」
「つっかけないと崩れないよな」
「サイドバックもオーバーラップして外に起点つくらないと」
「外で引きつけて折り返せばファーも空きそうなもんだけどな。このチームには動きがねぇ」
 もちろん基本方針に反するアイデアが戦いぶりに反映されるはずはない。
 改善策を講じず硬直化した銀星倶楽部は負けつづけ、勝点は砂のように手からこぼれ落ちていく。
 事件が起きたのは、上位争いに絡んでいるクルブ・アトレティコ大阪をホームに迎えたディヴィジョン1第一二節、ファーストハーフの終了間際だった。
 相手のタックルで打撲した左サイドハーフのアオがピッチの外で治療しているあいだ、左サイドハーフと左サイドバックの中間の、きわめて微妙な位置ががら空きになっていた。
 そこで相手の右サイドバックがフリーでボールを持つ。左サイドバックの南部はセンターバックの位置で相手フォワードを、左ボランチの結束ゆいつかは相手の右サイドハーフをマークしていて、相手の右サイドバックには誰もプレッシャーをかけていない。そのままではやられ放題になる。だから南部はマークを捨てて結束を追い越し、ボールを保持する相手右サイドバックへと突進した。
 しかしもともと後方からの追い越し禁止、原則的に担当ゾーンからの外出禁止という約束事で動いていた選手たちは、危急の際に動きが鈍い。みんなが少しずつスライドして南部が空けたスペースを埋めるべきだったのに、そうはならなかった。結局、南部がプレッシャーをかけた相手右サイドバックから、ぽん、ぽんと自在にパスを廻され、ワンツーやドリブルによって左右に揺さぶられ、失点した。流動的な攻撃に翻弄され、ついていけなかったのだ。
 老松派としてピッチ内で幅をきかせているセンターバックのキャプテン北山きたやまは南部を責め立てた。持ち場を放棄するからこんなことになる、と。
 南部は、あのままだったらバイタルエリアで好き放題に廻されてどのみち失点していただろう、と言い返す。
 たちまち取っ組み合いの喧嘩が始まった。相手チームそっちのけだった。
 主審は騒乱の首謀者である北山と南部を退場処分にした。銀星倶楽部はセカンドハーフの四五分間を九人で戦い、さらに四失点を重ね、〇―五のスコアで敗れ去った。
 監督の老松に修正能力はいっさいなかった。
 自身に統制する力がないから、規則で選手をがんじがらめにし、チームにヒエラルキー制度を持ち込んだ、というなら、結果を残せばまだ擁護のしようがある。でも引き分けを挟んで一一回負けたうえ、チームをここまで壊したからには、老松の独裁を許す必要は何処にもない。
 ぼくは松重とふたりでこの事態の解決法を探り、試合終了と同時に老松の解任を決めた。
 監督のいない共同記者会見には、スタンドで試合の解析にあたっていた久米田コーチを出席させた。ベンチ入りしていた老松派の石栗いしぐりコーチが、冷静に話すことができないと、出席を拒否したからだ。
 石栗と久米田のどちらに任せるべきか。仮に来シーズン、経営が安定し、クラブの体制が整った状況になれば、石栗も引き受けてくれるだろう。けれど、ワイヤーが切れて底に激突する寸前のエレベーターのようないまのチームの指揮を執りたがるとは、とても思えない。監督代行をしているあいだに黒星を重ねれば経歴に傷がつく。むしろ、久米田を矢面に立たせ、自分は物陰で息を潜めていたいのではないだろうか?
 石栗には老松の補佐官であった印象が強すぎ、それを払拭するのに移行期間を要するのは確かだ。その点を考慮するなら、セカンドチームをよく見ている久米田のほうが適任だろう。ぼくは新監督が見つかるまで、しばらくのあいだ彼にチームを任せることに決めた。松重にも異論はなかった。

 

 問題は正式な後継監督になってもらえる人物がどこにいるのか、だった。
 前強化部長の柳川を追放してからというもの、選手のみならず指導者のコネクションもなくなってしまっている。
 新監督のあてがないまま、考えごとをしながら歩いた。宵闇に包まれつつも、天王洲の風景は幹線道路と臨海鉄道の駅を含む賑やかなものになっていた。
 学校のコートでサッカーの試合をやっている。照明があり、良質の人工芝が敷き詰めてある。なかなかいい施設だ。社会人サッカーを扱うウェブサイトを見ると、眼前の試合はランドクライスリーガ東京1部――都リーグ1部の公式戦であることがわかった。
 火曜日の夜という変則的な日程。当該チームのブログには、第一節順延分と記されている。
 はっきりとした声でミーティングの内容が聞こえてきた。
「なんべんも言っているけれど、この国のサッカーには時間の概念が希薄だ」
 監督らしき男が言う。
「時間帯ごとのメリハリでゲームをコントロールしよう。逃げるのか、差すのか。はっきりしよう」
 競馬かよ──と、ぼくは声に出しかけ、あわてて口を噤む。距離があっても遮蔽物はなく、何かを言えば周りに聞こえてしまいそうだった。
「ヨースケ。きょうは抜けられないバイトがあるんだったな」
「すんません。後半一〇分には出ないと」
「オッケー、わかった。前半はヨースケを入れて3トップにする。4―3―3な。相手のフォワードの枚数見て、余っちゃうようだったら3バックにしてもいい。セットプレーも先制するまではヨースケが蹴っとけ。もし点を獲ったら今度キウチな、後半に向けて慣らしておくって意味で」
「はい」
 体育座りのキウチが答える。このチームのプレーメーカーなのだろう。
「とにかくメンバーがいないから無理に勝とうとするな。ヨースケがいるあいだに点が獲れなかったら引き分けでもいい。で、もし先制していたらヨースケはハーフタイムに帰っていい。獲れてなかったら後半キリのいいところまでな。ちゃんと時間見てるから。こっちから下げるぞ。後半は攻めてくる相手にプレッシャーをかけきれないと思うから、で、体力の問題もあるし、5―3―2で始めるけど、バランスが悪いようなら現場の判断で4―4―2とか4―5―1に変えていい。時間を使って守れ」
 選手たちは無言で了解した旨をあらわしている。
「おれたちはたまにしか練習できないから、試合のなかでチームをつくっていくしかない。前半は攻撃。後半は守備。逃げの展開だ。いいな」
 たいていの社会人チームがそうであるように、集まって練習する機会に乏しいようだ。ならば、やることを平易に、明確にするのはいいことだ。テーマが攻撃、守備だと言うなら、やるべきプレーは自ずと決まってくる。
 ミーティングが終わると、監督はすたすたと歩いて行ってしまう。見ると、コートを見渡せる場所に立ち、そこに落ち着いた。
 たしかに実際のサッカーでも高い場所からスカウティングをすることはある。しかしちょっとした違和感があった。
 釈然としないままベンチに眼を向ける。そこの主はふたりのスタッフだ。もうひとり、唯一の控え選手なのだろうゴールキーパーが傍らに。ヨースケが帰ったあとは、このキーパーがフィールドプレーヤーと化すのだろう。目の前の試合よりも仕事。社会人サッカーはプロとは異なる次元で戦っている。
 青いユニフォームがベイサイドFC、赤のユニフォームがクラブ暁星アストラ。アストラは百年以上の歴史を持つクラブらしい。ベイサイドは新興だけれど、ディヴィジョン1のセントラルで監督を務めていた人物が代表者だ。両チームともそれなりのバックボーンがあり、本気の競技志向が感じられる。
 一瞬観て、あれっ、と思った。4―3―3は4―1―2―3ではなく、フラットな3ラインが並行になった、まごうことなき4―3―3で、全体が薄い紙のように圧縮されて異常なまでのコンパクトさを保っていた。そして極端にラインを押し上げる。相手が格下でないのなら、そうとうリスキーだ。カウンターをしてくださいと言っているようなものだ。
 前線からプレッシャーをかけ、全員で連動していくディフェンス。体力のない社会人にできるのかと心配になるけれど、それは杞憂に終わりそうだ。ゴールキーパーがさかんに「ゆるくなるな!」と怒り、サボることを許さない。
 技術は高い。サーっと地を這うようなグラウンダーのパスが小気味いいテンポでつながっていく。止める、蹴るがとても丁寧で、それを観ているだけで気持ちがいい。
 先制点はベイサイドだった。ヨースケの蹴ったコーナーキックにセンターバックがヘディングで合わせた。背の高い選手が少ない下のカテゴリーにしては、体格も含めて頼もしさが溢れる選手だ。身の丈はおそらく一八〇センチを超え、競り合いに勝てる跳躍力がある。中心選手だとはっきりわかるクオリティを持っている。
 アストラは攻める意欲は旺盛であるものの、カウンターへの対応が巧くない。それほど負けているという印象のないままに、失点を重ねていく。
 右から入ったクロスをヨースケがダイレクトに蹴って二―〇。さらに終了間際にはヨースケが三〇メートルをドリブルしてキーパーをかわし、三―〇とリードを拡げた。
 お役御免のヨースケが挨拶を済ませ、着替えて職場に向かうべく、クラブハウスへと姿を消す。ハーフタイムになると、ミーティングで話していた男が戻ってきた。
「三点リードしているけど、調子に乗らないようにな。相手は強いぞ。攻めたほうがいいという意見もあるかもしれないがヨースケがいなくて人数もぎりぎりだ。守ることに集中しよう。隙があれば反撃してもいい。でも守りのリズムをつくることが最優先な。一点、二点獲られても焦らないように」
 先発の4バックが左に少しずれ、控えのキーパーが5バックの右に入った。予定通りの5─1―2―2だ。中盤をフラットにせず逆三角形にしているのは、ダイヤモンド型に変化した相手の中盤に対応するためだろう。相手のフォワードふたり、サイドハーフふたりを5バックで受け止めるプランだった。五対四なら最終ラインの中央がひとり余る。相手のトップ下は逆三角形の底のアンカーが見る。意図はわかった。
 しかし戦前に監督らしき男がバランスの悪さを危惧していたとおり、アンカーの横にできたスペースを使われ、ベイサイドは自陣内に押し込まれてしまう。ディフェンスラインでは五対四の数的優位でも、中盤では逆に三対四の数的不利になる。相手の両サイドバックが同時に上がってきて、トップ下とボランチのふたりと連携するからだ。
 そこで、右サイドバックに入っていた控えのキーパーが一列上がり、4―4―2になった。中盤の両サイドに蓋をしたことでアストラの攻めが手詰まりになる。
 とはいえ、主導権を握れば強いアストラは、ヨースケが退いたあとの戦力差を背景に、フォーメーションのマッチングを無視、ゴリ押しで何度もゴール近くへと迫る。
 幾多の決定機をすべてやり過ごすことはできず、ベイサイドは二点を失ったが、辛抱強く守り、逃げ切った。監督らしき男はクールダウンを済ませた選手たちをねぎらった。
「きょうは“逃げ”で勝てたな。こういうゲーム運びができることを忘れないように。呑んでもいいが平日だからあまり遅くなるなよ。あと、超回復を考えて肉を喰っとけ。解散」
 ぼくは帰ろうとする男がひとりになるのを見計らい、呼び止めた。
「自分は銀星倶楽部の群青と言います。お名前も存じ上げずに突然のお願いで恐縮ですけれども、ちょっとお話をしたいと思いまして」
「……おれのことは知らないのか」
 監督は、まるで自分のことを知らない人間がいるとは奇蹟だ、とでも言うように、驚きの眼でぼくを見た。ただしその眼光に怒りの色はまったくない。
「すみません。試合を観て、戦いぶりがよかったもので」
 ぼくは謝った。
「いいよいいよ。名前は木瀬正親きせまさちかです。声をかけてもらってこっちこそ失礼なんだけどさ、すぐに移動しないといけなくて。お兄さん、名刺もらえる? あとでメールするよ」
 部屋に着くと着替えもそこそこに、ぼくは木瀬の過去を調べ直した。彼は優秀だった。家庭の事情で急遽名古屋クラブの監督を辞めたあと、経歴がぷっつりと途絶えている点は気にはなった。それでも獲るべき逸材だと、ぼくは思った。
 夜中に木瀬からのメールが届いた。
 全国リーグのチームを指揮する資格を持っていること、ネットをほとんど見ないこと、連絡先が記されていた。携帯がいちばん早いです、と付け加えてある。
 最後にこう書いてあった。
「もし話が指導の仕事に関することなら、それにはすごく興味があるけど、おれでいいのか、という疑問がある。まずはおれのことを廻りの人に訊いてみて。それで、どうだったかの報告を兼ねてまた連絡ください。待ってます」
 翌日、事務所で松重に木瀬獲得を訴えると、顎をつるつると撫でて彼は頷いた。
「まあ、たしかに、優秀なことは優秀だ」
 表に出ていない話では、以前に所属していたクラブで、先発を外された主力選手と結託して「反木瀬」の派閥を築いていたマスコミと大立ち回りをやらかし、鉄拳制裁の結果、何人かを病院へと送り込んだことになっているのだと松重は言う。この一件は協会トップも問題視するところとなり、木瀬は資格停止処分を受けた。経歴が途切れているのは、そのせいだったのだ。
「もう四年経ったから、処分は解けているかもしれないが、まあ、この男を雇ったらどういう反応が返ってくるか、わかるわな。おすすめはしない。ただ、腕は確かだ。どうする」
 松重はぼくをじっと見た。
「ぜひ獲りたいと思います」
「何がなんでも欲しいって顔だな。まあ……できるだけやってみろ。偏屈って評判だぞ」
 その晩、ぼくは駒沢補助競技場の脇にあるベンチで木瀬と話し合い、銀星倶楽部の現状と彼の手腕についての評価を伝えた。そして概ね事情は聴いた、もう資格停止処分は解けているのではないかと訊ねると、そのとおりだと木瀬は言う。
「では何か問題でも」
「いや。たんに慎重になっているだけだよ。ベイサイドは趣味でね」
「いま正式な監督ではないということは、ぼくらのところに来やすいのでは?」
「まあ、そりゃそうだな」木瀬はきょとんとした顔になる。「でも暴れ者の不良監督をベンチに据えたら、反社会的な存在として叩かれる」
「ぼくが盾になります。何があっても必ず守る。あいにくの泥船で申し訳ないのですけれど、目的地までいっしょに乗ってもらいたい」
 長い沈黙のあと、ようやく木瀬が口を開いた。
「ひとにどう思われようといいんだよ。だから叩かれることは気にするな。おれが悪いんだから。それより、一点だけ呑んでほしいことがある」
「なんですか」
「どれだけ負けてもおれを馘首くびにするな」
「……どういうことですか」
 真意を図りかね、ぼくは訊ねた。
「サッカーの監督はヒット曲を出さないと馘首になる」
「知っています。先日、そうしたばかりだ」
「これが芸術や音楽なら、コンクールで相手に負けようと、作品や演奏がよければ賞賛されることもあるだろう。ところがサッカーはそうはいかない。勝ち、負け、引き分け、必ずこの結果がついてくる。ヒット曲を連発しなければ契約を打ち切られるポップアーティストと同じだ。売れなくても内容はいいからOKだ、なんてことはいっさいない」
「つまり、こう言いたいんですか。自分はよいサッカーを追い求める、そのためには負けが込んでもやむをえない、連敗しても降格しても、契約を打ち切るな、と」
「そのとおりだ」
「それはだめです。結果が出ないなら馘首にするしかない」
「だろう? いつも揉めるのはそこなんだよ」木瀬は上着を抱えて立ち上がった。「期待させておいて悪かったな。ほかを当たってくれ」
 ぼくは公園を離れて通りへ向かおうとする木瀬を追い、彼のシャツを掴んだ。
「待ってください」話をつづけるべく、懇願した。「考え方を変えて、ぼくらの監督になってくれませんか」
「それはだめだ」
「じゃあせめて、あなたのサッカー観を、もっと丁寧に聞かせてください。でなければ、帰って報告をすることもできない」
 木瀬はあごに手をやり、ふうむ、と声を漏らす。そして椅子に座り直した。
「群青くん、営業のほうは、どう?」まるで本題とは関係のなさそうな口ぶりだった。
「さっぱりです。親しくなった商店会のひとが出資してくれるようになったり、チケットを買ってくれるようになったりはしているんですけれど、拡がりがない」
「原因はなんだと思う」
「負けているからでしょう」
「ほんとか? 黒星つづきでも四万人入るビッグクラブもあるぞ」
 木瀬に言い返されたぼくは答えを変えた。
「魅力がないから、と言いたいんですか?」
「そうだ。全力でプレーしていない、みえみえのシミュレーションで転がる、意味のない抗議をしてイエローカードをもらう、ボールが外に出てしょっちゅうゲームが途切れる、勇気をもって突破したりパスを通そうとしない、シュートを撃たない、連携しようという意識や意図がない……負け試合にマイナス要素が多かったら、よけい印象が悪くなるよ。そんなサッカーからメッセージを汲み取れるか?」
「……いいえ」
「だろ。せいぜい負けたくない、っていう悲壮感が読み取れるくらいだ。でも前向きな何かがない。だから負けてもがんばる姿に勇気づけられることがない。いまそんな状態なんじゃないのか」
 そのとおりだった。
「やる気の問題ですか」
「いや、結局はプレーの質だよ。やる気だけじゃ、ひとは観る気にならない。いくら営業をがんばったって、商品に魅力がなければだめだ。人はそのサッカーを観て、どんな性質のクラブなのかを判断するんだ。サッカーは雄弁だ。実際のプレーが、人々に勇気や仲間を思いやる気持ちや、なにがしかのプラスを与えるんだよ。だからお金をとって観てもらっているんじゃないのか? プロとしてプレーを観せているのに、何かを提供できなかったら、お客さんに対して失礼になる。だから結果ではなく、内容を見てほしいんだ。でもそれは負けを見逃してくれという免罪符とイコールじゃない。わかってもらえるかな、おれの言っていること」
 ぼくは頷いた。
「あなたに防衛線を引かせるつもりはありませんけれど……でも、気持ちはわかります」
「サッカーの内容がクラブのめざす方向やポリシーと噛み合ったときに、人はそのクラブに帰属したい、と思うんじゃないかな。もしクラブづくりのためのサッカーづくりができるんだったら、おれは年俸がいくらであろうと、喜んで仕事を引き受けるよ」
「ポリシー?」
「そう。銀星倶楽部はこうありたい、という核がいまはないんだろう。それをいっしょにつくっていこうってことさ」
 そのとき、ぼくは思った。このひとといっしょに銀星倶楽部を育てていきたい――。
 ぼくは木瀬の手を握った。肉厚で柔らかく、表面が乾いている、温かい手だった。

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