前回までのあらすじ

パラグアイのクラブ「リベルタ」に所属する日本人サッカー選手「群青叶(ぐんじょう・かなえ)」は、南米大陸二大カップ戦のひとつ、コパ・スダメリカーナ遠征に参加。コロンビア西岸の都市カリにてベスト8進出をかけた決勝ラウンドに臨んだ。この試合でPKを外し、サッカー賭博に大番狂わせの結果を招いた群青は、大量の資金流出を余儀なくされた麻薬密売組織の怒りを買い拉致されるが、東京のプロサッカークラブ「銀星倶楽部」常務、松重崇(まつしげ・たかし)によって救い出され、帰国する。
「銀星倶楽部」オーナー上水流領(かみずる・かなめ)の死後、群青は同クラブの社長に就任。経営危機に揺れるクラブの再建に乗り出した。
しかしカジミエシュ・チェシュラック監督の更迭とライバルであるインテルクルービによる彼の「強奪」、銀星倶楽部の女子部にあたるGEKKOコンピュータシステムサッカー部の解散とそれを批難するキャプテン栢本里昴(かやもと・りよん)の出現、インテルクルービへのスタジアムの優先使用権譲渡など、いくつもの予期せぬ出来事にさらされ、新米社長の群青はうろたえるばかり。リーグの会合ではインテルクルービのオーナー神足一歩(こうたり・かずほ)の正論に圧倒され、非力さを痛感する。
問題解決を迫られる群青は、三軒茶屋で地元の愚連隊を取り仕切る男にしてスーパーマーケットチェーンの経営者、山田(やまだ)とミダイの協力により、女子部全員の就職先と新たなホームスタジアムの確保に成功する。そのミダイが過去にけがを負わせたことを里昴の盟友・蓮田(はすだ)チカに謝罪すべく訪れた練習場で、チカと外国人の少女タチアナがとっくみあいの喧嘩を始めてしまう。インテルクルービとまちがえて銀星倶楽部の練習にやってきたタチアナとともにサッカーをしようという里昴の配慮が招いた事態を、群青はからだを張り収拾する。
タチアナたちを迎えに訪れたインテルクルービの専務であり腹違いの姉である上水流奏(かみずる・かなで)から、銀星倶楽部強化部長の柳川(やながわ)が選手の移籍に際して不当に利益を得ていたことを知らされた群青は、ふたりで成田空港へ。出国寸前の柳川を捕まえることに成功するが、その代償に選手獲得ルートを失ってしまった。
貧弱な戦力を新任の監督老松尚之(おいまつ・なおゆき)はまとめきれず、新シーズンの開幕戦を落とし、不穏な空気が漂い始める。
トップチームに緊張が走る一方、女子部は消滅しかけていたもう一チームとの合体により存続、融合がうまくいっているかに見えた。しかし差別を含む人間関係の悪化で里昴が山田の店を退職すると、本人は落ち込み周囲にも動揺が走る。この非常時に群青は女子部の副キャプテン琴川桜花(ことがわ・おうか)と示し合わせ、里昴の気持ちを落ち着かせることに成功する。そして新しい職場として銀星倶楽部事務所アルバイトの口を提供すると、ようやく里昴に笑顔が戻った。
だが、苦難を経てより結束を強めた女子部と対照的に、トップチームは完全に崩壊。一引き分けを挟む一一連敗を喫し、群青は老松を更迭した。
コネクションがない状態で新監督探しに乗り出した群青は、都リーグの会場で社会人チームの指揮を執るひとりのユニークな男を発見する。試合後に本人から名前を聞き出して調べると、四年前に暴力事件を起こしてサッカー界から離れていた元プロ監督、木瀬正親(きせ・まさちか)であることがわかった。
監督就任を要請する群青に対し、木瀬は「どれだけ負けても解任するな」と要求する。それは責任逃れと失職対策ではなく、クラブの価値観を築くうえで必要なことだった。群青は木瀬を守りぬく覚悟を固め、新監督に据えることを決めた。
木瀬の許で再出発を図った銀星倶楽部トップチーム。内容は向上するが、それがすぐ結果に反映されるわけではない。今シーズンの銀星倶楽部が必勝祈願をしていないと知ると、山田はそれも弱体化の一因だという。オカルト論ではなく、日常の一つひとつを研ぎ澄ませている者が強いのだと。それは平均的な戦力でビッグクラブに対抗している鹿島N.W.O.にも言えることだった。彼らと銀星倶楽部とでは何から何までちがいすぎる。求められていないのなら存在する必要がないのではと悩む群青を、里昴はホームゲームごとに通うおばあさんを例に挙げ、ごくわずかなファンを満足させられないのなら先はない、インテルクルービに負けるな――と励ます。
しかし現実に連敗は止まらず、ますます窮地に追い込まれていく。切羽詰まった状況で、木瀬は群青に対し、現役復帰を要請した。
群青はひとまず練習に参加してチームの役に立とうとはするが、選手登録の決断は先延ばしにした。
迎えた週末のインテルクルービとのダービーマッチは、現在は相手のホームとなった湾岸スタジアムを借りてのホームゲーム。練習の成果が反映されることを期待してスタンドで観戦する群青だったが、対策を施された〇―三の完敗という結果を受け、怒りに荒れくるうゴール裏のウルトラを鎮めるため、走り回るはめになる。チームバスを脱出させた群青が得たものは軽いけが、そうして少なくないファンを失ったという事実だった。
松重と監査役からは会社を整理する方向で検討に入ると伝えられ、銀星倶楽部は今シーズンかぎりで消えることが濃厚になる。そこへタイミングよく、インテルクルービのオーナー神足一歩から、関係企業を通した資金援助の提案を持ちかけられる。しかしそれは銀星倶楽部を乗っ取ろうという神足の策略である疑いが濃くなり、群青は里昴とともに使者の奏を説得。断りの返事を持ち帰らせる。
すると翌日、奏がインテルクルービ社内の陰謀によって解任同然の事態に追い込まれた。動揺する奏を群青は優しく慰める。
会社の行方が定まってきたことから出向の身分だった松重はリーグ事務局に復帰。常務の座が空位になる。
そしてさらに数日後、会社存続の鍵を握るクラブライセンス継続に向けた逆転の機会であるフットボールリーグの会議に銀星倶楽部常務として姿をあらわしたのは奏だった。群青はインテルクルービの専務となった松重と短く火花を散らす。パートナーを替え、群青と神足の戦いがつづく……。

第一〇話 戦争の新しい種類ⅠA New Kind of War Part Ⅰ

tedd04a「さて、と。まずはおじさま方のご機嫌をとるか」
 外交的ではきはきとした奏は、業界で好感をもって受け容れられていた。ぼくよりも話を円滑に運んでくれる手腕は頼もしい。百人力の味方を得た気分だった。
 それにしても、と、インテルクルービにいたときよりも生気がみなぎっている奏を見て思う。どうして彼女は銀星倶楽部をやめて神足の許に赴いたのだろうか。支援の件を撤回させるために奏を追い詰めたときの里昴の邪推も、ある程度は合ってはいるのかもしれない。でもそれだけなのか? 出戻りの気恥ずかしさを漂わせながらも堂々と挨拶し、指示を出す奏には、銀星倶楽部の誰もが感服し、従っていた。ぼくに対するものとはまったくちがう反応だった。それほどの器を持ちながら、上水流領の死期が近づくとクラブを去り、いまはぼくの片腕に甘んじている。わけを教えてくれる日が来るのか否か。気がつくと、そんなことが脳の大部分を占めていた。
 集中がおろそかになりかけている。それはだめだ。いまは眼の前にぶら下がっている仕事のことを考えるべきだ。なにしろ、きょうのフットボールリーグ理事会は、今後のクラブライセンス審査に影響する重要な会議なのだから。
 記憶を反芻する。できるかぎり、やるべきことはやったはずだ。成功を確信した状態で始めよう。
 この場に臨むにあたり、ぼくと奏は主要各クラブのトップと事前交渉をしていた。いきなり提案をしても受け容れてもらえないだろうからという理由もあるが、それよりも、インテルクルービの連中の前ではこの案を検討できないからということのほうが、先に話をした理由としては大きい。
 山田にはこの一週間、知恵を授けられてきた。どういう理由でか、理事会トップの既得権益層、関東、中京、関西のビッグクラブは、インテルクルービを蹴落としたがっている。インテルクルービ包囲網に銀星倶楽部を加えなければ損だと思わせることさえできれば、延命に協力してもらえるのではないか。そしてその後ろ盾をもってすれば、銀星倶楽部社内の説得も可能になる。整理しよう、という動きは、これ以上自分たちの力を浪費したくないという後ろ向きな気持ちだけでなく、クラブライセンスの審査を通らないだろうからこれ以上やっても無駄だ、という判断も含めて生じてきたものだ。原因が解消されれば見直しの方向に転換できる。
 望み通りの気運をつくるためにどうすればよいか、奏と対応策を練った。考えついたのは、悪く言えば、最終節でインテルクルービと対戦が決まっている自分たちが優勝の行方を握っているのだぞ──と、連中を脅かすことができればいい、というものだった。しかしそれだけでは弱い。
 ほんとうのことを言うしかない。
 もし銀星倶楽部が自主独立の路を選ばなかったら、インテルクルービの傀儡になるところだった。今後、壊滅するようなら、再びハイエナのように神足がたかってくる。そうなれば既存のサッカー界にとって都合の悪い事態になるだろう、と。
 しかしこの話はインテルクルービの理事がいる前ではできない。本音の部分はウラ交渉。会議の席では、表向き、存続を許可する旨の話をしないといけない。
 地域活動の好反響と観客動員の増加を材料に、地域密着が進み、また経営が改善の方向に向かっていると説明し、シーズン終了時までのスポンサー獲得とリーグに対する債務の完済を約束する。
 ビッグクラブ連合のアシストをしたいという、いささか不遜な提案は好意的に受け容れられた。彼らにしてみれば、自分たちの意向を反映する橋頭堡を都内につくることになるからだ。東京都連盟の影響が色濃いセントラルはインテルクルービと良好な関係を築いているし、北区を中心に北部をホームとするノースエンドは2部にいて、そもそも対抗馬になりえない。駒となりえるのは銀星倶楽部だけだ。
 こうして水面下で銀星倶楽部を支持する勢力が出来上がった。
 ただし、本番の会議で狙いとする結論にうまく着地させられるかは別の問題だ。
 秋の最終ヒアリングを前に、この初夏、中断期間に入ってすぐの時点で経営に難があるクラブに対しては自主降格もしくは脱会を勧告することになっていた。この夏と秋のあいだの数カ月がミソで、その間に改善が認められれば逆転、存続できる。つまり、猶予を与えるための契機として設定されたタイミングでもあった。
 自主降格または脱会の決定を留保することができるかどうかを決めるのは多数決ではない。曖昧な空気だ。銀星倶楽部への処分を待とうという空気が醸成されれば助かるが、もしインテルクルービが強硬に反対すればこちらの望みは叶わないかもしれない。
 そうなったとしても、五分以上の割合でぼくらにとって有利な判定が下されるように、奏はがんばってくれている。
 小声での相談をまじえ、落ち着いた笑みでひととおりの挨拶を終えた奏が自分の席に向かい始めたとたん、脚をふらつかせた。
「あ…れ………?」
「どうしたの? 大丈夫?」奏の倒れしな、ぼくは彼女の肘を掴み、支える恰好になる。
「ああ。どうしたのかな」自分でも不思議に思っている様子だ。ぼくの手が自身の肘を掴んでいることに気づいた奏は、その上にさらに自分の手を添える。体温が心地よい。彼女を気遣う状況でなければ、いつまでも浸っていたい柔らかさがある。「すまない。心配ないよ」
 微笑というよりは、やわになったことを自嘲するかのような苦笑を浮かべ――添えた手を離すとぼくの手を、ぽん、と軽く叩き、肘を掴むのをやめるよう無言で示唆した。
 未練がましさを振りきって席に着くと、ほどなくして会議が始まった。
 案の定、インテルクルービの進藤武仁社長は銀星倶楽部の救済に反対する姿勢を示した。
「プレミアシップ開設に伴い、レギュレーションを厳格にして健全経営のクラブによる質の高いフットボールリーグをつくると誓ったはず。大事なプレミア初年度を前に最初の審査が緩んでは意味がない」
 これに異議を唱えたのは経団連主要企業がスポンサーに名を連ねるアソシエーションフットボールクラブ名古屋の代表、片倉功介かたくらこうすけだった。
「護送船団方式をとうに捨てたのは確かだが、やたらとクラブを潰してリーグを不安定化することを望んでいるわけではない。基準は足切りのためではなく、改善のための指標としてあるべきだ。良化の兆しがあるのに無視するのは非合理だと思わんか」
 どちらも正論だった。場の空気は完全に拮抗した。
「老いたる馬は路を忘れず、と言う。こういうときは十分な知恵と経験を有する先達に判断を仰ぐべきではないか?」そう発言した自身、長老の威厳をたたえている澁川大作しぶかわだいさく議長が、別の賢老を指名する。「鹿島N.W.O.の最高顧問だった田頭重國たがみしげくに老、神栖の里にていまだ壮健と聞く。あの方の意見をうかがおう」
 田頭。山田が挙げていたフィクサーの名だ。鹿島の関係者だったのか。最高顧問だった、ということは、いまはその肩書きすらないということなのだろう。それでも理事たちに圧倒的な説得力を持つだなんて、いったいどれほどの威厳を備えているというのか。
「決まりだな」奏がぼくの耳許で囁いた。
 澁川が採決ではなく議長権限での決定を宣言すると進藤の表情が歪んだが、反対が自分たちだけであることを察してそれ以上の反発は見せなかった。
「すぐに日程を調整、群青理事には一両日中に出頭を要請する。待機するように」ぼくが肯定の返事をすると、澁川は「これにて閉会。次回は一ヵ月後に招集する」と言い、幕を閉じた。
「よくやった」会場の巨大ホテルをあとにして桜田通りのほうへ下りようとすると、他の理事が近くにいないことを確かめた奏がぼくの肩に手をかけた。「田頭の名が出てくるとは思わなかったが」
「知ってるの?」
「ああ。大物だ。気圧されるかもしれないが、覚悟しておけ」

 二日後。事情聴取のため、ぼくは鹿島へと向かった。あちこちに放棄区域ゾーンがあり、不便な千葉県を通過するべく、目的地の近くまでは奏が送ってくれることになったが、田頭邸への同行は断られた。
 古いしきたりが残り、女性の侵入を好まない場所もある。揉め事が起きる可能性をいたずらに高める必要もないと、奏のほうから遠慮したのだ。
 前強化部長の柳川追跡にも使った政府関係者専用レーンから、成田空港よりも少し先、成田市と香取市の境界近くで東関東自動車道に復帰する。やがて見えてきた佐原香取インターチェンジを降りたところに“関所”があった。
「パスポートがいるな」
 奏はぼくのぶんもまとめて提示する。入境が許可された。
 千葉県香取市、茨城県潮来市、神栖市、鹿嶋市の一帯は、神官が統治する自治区になっていた。異教徒を拒むわけではないが、警備と治安維持は厳重だ。千葉県側から鹿嶋市や神栖市に向かって架かる橋、北から息栖大橋、常陸川大橋、利根かもめ大橋、銚子大橋の茨城側には、アンチマテリアルライフルで重武装した警備兵がウオッチタワーの上に構えている。たいていのプロサッカークラブは二〇二四年後半に各地で頻発した反芸能スポーツ興行暴動の余波で害を被っているものだけれど、鹿島スタジアムの公式戦での事故はここ一〇年ほど何もない。現代日本とはかけ離れた異空間がそこに拡がっていた。
「ここまでだな」海岸が近づくと、奏はぼくを車から下ろした。「あとで迎えに来る」 
 神栖。文字のとおりに解釈するなら、神が棲まうところという意味になる。しかし眼に映るのは、ごくふつうの海と工場と畑と住宅。この地域の両極にある最古の神宮、香取神宮と鹿島神宮に感じられるような神々しさに欠けている。しかし。
 ――地図にないこぶりな神社が見えたとたんに温度が変わった。静謐せいひつで涼しげな空気。力がみなぎってくるようだ。俗にパワースポットと言われる所以か。
 傍らの日本家屋に“田頭”の表札がかかっている。
 ぼくの接近を知っていたのか、呼び鈴を押してもいないのに、ひとりの年老いた男が玄関の戸を開けた。そのまま歩いてくる。
「待っていた。お上がりなさい」
 当然のように畳の間に通される。さほど広くはない。冷房機器は見当たらないが、陸のほうに開け放たれた縁側から風が入ってきて涼しかった。
「本日はお招きありがとうございます」
 山田のアドバイスでは賄賂は無用とのことだった。そのかわりにちゃんとしたものを持っていけ、と。迷った挙句、万年筆とチョコレートを贈ることにした。万年筆は一九五〇年代に流行したイタリア製のもので、現在ではヴィンテージ品扱いとなっている。これは山田のつてで古物商から手に入れた。お茶請けに用意したチョコレートは世田谷に居を構えるスイス人の職人がこしらえたものでカカオマスの濃度が高い。
 お近づきのしるしに、と差し出したこれらを、田頭は拒まなかった。
「アウロラか……」田頭は万年筆を手に取り、しげしげと眺めた。「わたしの祖父もこれを使っていた」
 一九四八年生まれの田頭は幼少の頃、父方の祖父母と同居していた。万年筆が一般的だった時代を見て育っている。その記憶が蘇ったのだろう。オールドメディアが枯渇しつつあるいま、中古市場では、二〇世紀につくられた銀塩カメラ、万年筆、紙の本、エレクトリックギターとベース、時計、ラジオの価値が高騰している。昔を懐かしむ老人と、昔に憧れる若者が支える相場だ。
 カタログの大半は“NO STOCK”の文字で埋め尽くされ、現物を拝むことすらままならない。店頭に列ぶ前にはけていくからだ。
「お懐かしいですか」
「……そうだな。子どものときには、特別なものに映った。祖父はよくこの黒い万年筆で原稿用紙に何かを書いていた。どうしてこれを?」
「知り合いから、田頭さんは文具にこだわりをお持ちだと聞きまして」
 贈り物の習慣について山田が例に挙げたのは、知己のメディア業界人が、大物の組み合わせによる滅多にない座談会を企画したとき、その場をほぐすために、個々のバックボーンに沿った希少品を挨拶の際に渡してしまうというものだった。たとえばクトゥルフ神話に造詣の深い脚本家には、神田界隈を歩きまわってようやく一冊が見つかるくらいに発行部数が少ない、邪神を描いた洋書の白黒ペン画画集、などというように。特に引っかかるものがない場合は花や洋酒などで、吟味したものを。ワンオフ、一回こっきりの出会いで一気に距離を縮めるために有効な手段。手間をかけたことが相手に伝わり、価格以上の価値を感じ取ってもらえるからだそうだ。
「探すのはたいへんだったろう。ありがたく使わせていただこう」
「気に入っていただけてなによりです」
 田頭が腰を上げた。しばらくするとやかんの甲高い音。湯を沸かしに行ったのだ。
「持ってきてくれた菓子に合うだろう」田頭は手ずから淹れたお茶をふるまってくれた。カップに注ぐ紅色の輝きが眩しい。「事情聴取──をしなければならんが、それよりも話をしたい。ここまで呼んだのは、仕事にかこつけて群青叶なる人物の感触を確かめたかったからでもある」
「確かめる?」
「ああ。おまえさんみたいにじたばた足掻く若いのも少なくなってきた」
 話が始まった。お題は、今シーズンのリーグ戦について。いま優勝争いをしているのはインテルクルービ、彼らに継ぐ資金力を持ち外国籍選手枠とアジア枠をフル活用しているAFC名古屋の二強。そして高速カウンターを徹底している横浜アスレチック&ソーシャルクラブ、ブラジル人を中心にパスをつなぐレガッタ&カルチャークラブ神戸、5バックのイタリア流を貫くウエスト多摩ユナイテッドの五チームだ。二、三年前までのビッグ5と言えばこの五チームからインテルクルービと多摩を抜いて埼玉と大阪を加えたグループだったのだけれど、そのふたつは鹿島N.W.O.とともに二番手に甘んじている。
「ことしはポートタウンダービーが盛り上がっていますね」
 古豪の横浜と神戸が復調傾向にあることを挙げると、田頭はぼくに訊いてくる。
「なぜ横浜、神戸が一定の力を保ちつづけているか、わかるか」
 鹿島がなぜ強いのか、松重が答えたそれを思い出し、ぼくは応用する。
「伝統……でしょうか」
 田頭は深く頷く。
「伝統はばかにできない。新興勢力が強さを維持するために苦労するのは、それが根づいていないからだ。いわゆる古豪には根っこがある。伝道師の情熱が大地に深く根を張っている。その入口となったのが港町だった。横浜も、神戸もそうだ。英国を出発したフットボールの伝道師は各国の港を通じ、全人類が熱狂するウイルスをばらまいたのだ」
「それはどういう……」
「おかしいと思わんか。国境も人種も越え、ひとつのフォーマットに準じて社会的な行動をとる」
「まあ、それぞれ、お国柄は出るみたいですけれども」
 イングランドのキック&ラッシュとブラジルの個人技を重視するサッカーのちがい。守備戦術を重視するイタリア。反対に守備の文化がないと度々指摘され攻撃過多になる日本。民族性に応じてローカライズされ、伝播した先でお国柄を反映した国技になるボールゲーム。同一のスポーツではあっても解釈が異なる。フットボールとカルチョと蹴鞠では意味がちがう。
「それでもフィールドからコーナーキックに到るまで一七条のルールには従う。公用語の英語とフランス語を憶えたがる」
「……」
「この地球に人間が生きている意味を考えろ。物理的にはひとつの星の上に有機生命体がうじゃうじゃと湧いているだけで、そこに意味はない。意味を持たせようと思うなら、この世を有限に区切らなければならないし、共同体を設けなければいけない。人間はあるがままには世界を認識できない。物語を伴い、はじめて世界を、社会を捉えることができる。そのために開発されたもっとも強力な道具は宗教で、それはまだ有効だ。しかし時に間引き以上の深刻な結果をもたらす戦争を引き起こす。もっと穏健に世界を覆い、世界を再認識するためのツールが必要だった」
「それがサッカー……フットボールだというんですか」
「そうだ」
 ぼくはその返事を聞いて大きく息を吐いた。
「あまりに突拍子もない話だ。田頭さん、お言葉ですが、わたしは陰謀論を拝聴しに来たのではありません」
「ではフットボールクラブの会長が世の資産家や権力者に最高の栄誉職であると考えられ、実際に会長が国家元首を兼ね、名だたるクラブの会長に就任すればローマ法王への謁見すら叶う現状をどう思う?」
「それは……サッカーが世界でいちばん人気のあるスポーツだから……」
「そうだな。ひとつの競技の世界大会が総合体育大会であるオリンピックよりも巨大で人気があり経済を動かし、その予選が……予選だぞ? 予選が時に国家間で戦争の種になるなんて、おかしな話だ。それらの事実が既にフットボールの正体を白状しているようなものだ。たしかにわたしが言うことは嘘かもしれないが、嘘だったとして、フットボールが宗教かそれ以上の影響力を持っている事実は変わらない。問題はこの事実に着目した男がいるということだ」
「――もしかして、神足のことを言おうとしているんですか」
「神足一歩。宿命づけられた名前だな。人類を統治するシステムであるフットボールの世界に介入することで、やつは権力の階段を上ろうとしている」
 講釈はつづいた。M&Aや株式操作を繰り返してあぶく銭を稼いでも、世界を陰から支えてきた社会の中枢に食い込むことはできない。新しい血を導入することに慎重だからだ。もし認められようと思うなら大義名分を掲げなくてはならない。慈善事業、新薬開発、宇宙開発。もっともすばやく効果を発揮するのはフットボールだ。
「神足の心中はわからん。ただ、当初は金持ちや支配階級への復讐心から反体制活動に手を染め、実業家に転身し、おまえの父のグループを乗っ取ったのだろうが、やつの焦点はそこからずれてきているような気がする。さらなる高みをめざしていることだけはまちがいない」
「神足さんの肩を持つわけではありませんが、出世は悪いことではないのではないですか」
 そこは理屈としては呑み込みにくかった。異分子のひとりくらい、どうしたというのだ。
「……やつが何かを成し遂げようとするときには、古いもののすべてを破壊することを厭わない。地方のシャッター街を潰してショッピングモールに変えてきたブルドーザーのようなやり口だけは、ずっと変わっていないのだ。その思考がフットボールにも適用されることをわれわれは恐れている。もし神足が己の意思を貫き通したなら、社会の枠組みそのものを変えてしまいかねないからだ。フットボールは景気動向だけでなく、人間の気分をも左右する。それは時代の変革に大きな影響をもたらす。ホームタウンへの帰属意識も、国家と民族への愛着も、敵への憎悪も、常にフットボールが補強し、煽りつづけてきた。フットボールの側が変われば、人間の心も変わる。その可能性、神足が知らないはずがない」
 ぼくは思い出した。クラブ呼称の規定から地域名を外させた神足。もともとインターナショナルという意味を持つクラブ名に、さらにコズモポリスを重ねた運営会社の名前。
 ホームタウンを基盤に成り立つ地域クラブや市民クラブ同士が争い、地域住民がホームへの愛着を深めるこれまでのフットボール文化とは反対の方向を向いている。
 その先に神足が何を見ているのか。ぼくのようなぼんくらには思いもよらない高邁こうまいな思想で、未来を変革するつもりなのか。そしてそれは、古いものを守ってきた田頭のような人々からすると、耐えがたいものであるらしい。
「ぼくは若僧ですから、挑戦する側です。従来から強くあるみなさんには対抗する立場になる。神足とは考え方が全然ちがいますけれど、同じ傾向を持っているのかもしれない。そんなぼくに神足の危険性を説いて、同じ側に立てと?」
「そのとおりだ」
「だから自分たちは単純に挑戦者から既得権益を守ろうとしているのではない、害悪を排除する必要があってぼくを仲間にしようと説得している、そう仰りたいんですか?」
「そうだ。おまえも会議でそれを宣言したのだろう。ビッグ5を相手に」
「いちホームタウンの興行をめぐるプロサッカークラブの揉め事にとどまらず、大きな影響があると?」
「ああ。神足は脅威だ。排除できないにしても弱めるための戦いは必要だ。そこに手を貸せ」
「では、存続の件は」
「目立って銀星倶楽部を贔屓することはできない。しかし年度末まで、再建の猶予は与えよう。そのあいだになんとかしろ。銀星倶楽部内部への訴えかけには協力する。リーグからアドバイザーを派遣するかたちになるかもしれない。そこに神足の手の者――松重と言ったか――が、入り込んでいたとは、予想外だったが」演技ではない苦慮が感じられた。インテルクルービの人間となったいまでも松重は謎の存在でありつづけている。おそらく田頭にも全容は掴めていないのだろう。ぼくにしても気にあることはある。コロンビアまでぼくを迎えに来たときの、ハイテクノロジーの使い方。容易に米軍の協力を得ているかのようなコネクション。ところどころに入り込んで予測を難しくし、学術上の解決を許さない、不確定因子のような男は、田頭たち実力者にとっても悩ましい存在なのか。「ちょっと来い。帰る前に、見せたいものがある」
 田舎によくあるお蔵のような建物に連れられていった。そこにあったのは、赤っぽい色をした岩だった。
「これは?」
「さざれ石だ」
 君が代に詠われる特定のさざれ石がどれか厳密には知らないけれど、全国にそう呼ばれるものが点在していることは知っている。これもそのひとつなのだろう。しかしゴツゴツとした威容を誇るこの赤みを帯びたさざれ石には特別な何かを感じる。オーラに惹かれて眼を離せないぼくの心を見透かすように、田頭は実態を説く。
「鹿島神宮に同じものがある。が、それはレプリカだ。代々、本物はわれわれが保管している」田頭はさざれ石に眼を落とす。「これも、ただ、たまさか意味ありげな発色の石だというだけなのかもしれない。しかしある時代には、確実に意味を持っていた。いまも最低限の神秘性は保持している。そのようにして生きながらえてきたのが世界を支配する人類という概念であり、科学文明が幸福をもたらす近代社会というフィクションであり、日本を日本だと認識するための国体だ。それらを変えると人間は足場を失い、自分が何者なのか、わからなくなる。このさざれ石が砕け散ったときにどうなるか。それは誰にもわからないが、おそれるわたしたちとは反対に、割れたところを見てみたいとカタルシスを求める者もいるだろう。いま共闘する立場になったおまえも心変わりすることがあるかもしれない。そのとき、このさざれ石を思い出して考えろ。旧人類か、新人類か、はたして自分はどちらの側に立つべきなのかを」
 近々公開される情報を田頭は先んじて教えてくれた。
 来シーズン、二〇三〇年に開催されるクラブ主導の新設世界大会「ゲオ・グランデ」――全64クラブが16ブロックに分かれて戦う地球規模のチャンピオンズリーグ――に出場し、これもまた新設される協会組織である「スターボール連盟」の議決権を得ることができるのは、フットボールリーグディヴィジョン1の優勝クラブから選ばれる代表者ただひとりのみ。
 二〇三一年以降は日本から少なくとも二名の代表議員を送り込めるよう工作中だが、三〇年に関しては一枠で決まってしまっている。そこにインテルクルービの代表が乗り込んだらどうなるか。インテルクルービ以外の優勝候補クラブ間では、今後の政策のすり合わせが済んでいるが、神足はそれに従おうとしていない。スターボール連盟議会で神足が日本の不都合になる決定を下すよう働きかけ、ビッグ5や鹿島に不利益をもたらすかもしれない。
 インテルクルービがまだ銀星倶楽部を諦めていないフシがあるとみなが考えているのは、三一年以降の日本代表枠増の件があるからでもある。銀星倶楽部を第二インテルクルービとして本家とともに二強にすれば、同じ意見を持つふたりをスターボール連盟議会に送り込むことになる。そうなれば神足の権力はますます盤石になる。
 強すぎる矛を収めてバランスをとるためにも、今シーズンだけはインテルクルービを優勝させたくない。その防波堤としても銀星倶楽部は期待されている。
 しかしもちろん、その任を果たせなければ約束は反故にされるだろう。インテルクルービに勝つだけのチーム力を身につけながら資金獲得のアタリをつける。締め切りが延びただけで、やるべきことの難度はちっとも下がっていない。そこは忘れないようにしなければならないと思う。パワーバランスの振り子。その球のひとつであることを肝に銘じつつ、仕事を粛々とこなしていかなければならない。
 話に切りをつけ、畳の間に戻り、挨拶とともに帰り支度をしているときだった。
 突然、スマートフォンの振動が鞄を通して伝わってきた。
 胸騒ぎがする。
 よくない予感だ。何かが壊れてしまうような。
「叶……」苦しげな声。「救急車を呼んだ。たぶん、まもなくここに着く。車の始末をお願いできるかな……頼む……」
 そう言うと通話が切れた。
 冷や汗が背中を伝う。けれど、嫌な気持ちに襲われて落ち込む暇など与えないぞとばかりに座標を送ってこられては、奏のためになる行動に自分を駆り立てるしかない。
 SOSが発せられた場所はここからさほど遠くなかった。だが、どうしたらよいのか。走って辿り着けないこともないが、時間がかかる。
「どうした」よほどぼくは狼狽していたのだろう。異状に気づいたのか、田頭が声をかけてきた。姉でありクラブの仲間である奏が、この近くで体調を悪化させたことを伝えると、田頭は「わたしが送ろう」と言い、頑丈そうなセダン車を出してくれた。
 ぼくは田頭の運転する車で現場に着いた。
 ちょうど救急隊員が搬送の準備をしているところだった。ぼくを見ると、奏がキーを渡してきた。受け取ったぼくは彼女の車に乗り、震える手でステアリングを握る。そういえば運転自体、久しぶりだ。自分に動かせるのかと不安になる。でもからだは憶えているもので、不思議と操作には迷いがない。田頭とともに二台で救急車のあとを追ったから、標識に迷わずに済んだのはさいわいだった。近くにある市内の病院に入るまでものの三分とかからなかった。
「神栖は医療施設が充実している。ここで応急処置と検査をおこない、必要なら都内に搬送する手はずだろう」
 田頭はだんどりを想像して言った。
 大企業だけでなく、田頭のようにいにしえからこの世を見守る資産家が多数住んでいるとなれば、税収もそれなりにあるだろう。人口に見合わず裕福な自治体。道路から公共施設に到るまで街は清潔に整備されている。ここは信頼できそうだ。
 もう、あとは待つことしかできない。
 田頭はしばらく、待合室での落ち着かない時間に付き合ってくれた。
「ありがとうございました」一時間ほど経ち、そろそろ帰ろうと腰を上げた田頭に、ぼくは頭を下げて礼を述べた。
「たいしたことはしていない。それより、姉の傍にいてやれ。いますぐクラブがつぶれるというわけではないのだから、サッカーのことは気にするな」
 数時間で血液検査の結果が出た。白血球の数値が高く、赤血球の数値が低い。白血病だった。
 耳を疑った。健康の塊のような奏が――。
 一万人から二万人にひとりが罹患する難病であることは知っている。でも知り得ている情報は断片的で、今後を考える役には立ちそうになかった。
 担当医が席を外したわずかな時間に、ぼくはすみやかに、手許のタブレットで白血病について検索した。
 原因は遺伝子異常のほか、抗癌剤使用、放射線被曝。思い当たるフシはない。
 兆候についてはいろいろだ。あざ――はなかった。しかし「貧血」「めまい」という文字のところで手が止まる。それが疑わしい瞬間はあった。
 治療法は、抗癌剤と放射線でよくない細胞を死滅させてから骨髄移植をするというものらしい。だが、タイプが合う骨髄の提供者を探し出すことが難しいようだ。家族でも一致する確率は高くない。しかも、骨髄を提供する側のリスクもゼロではないという。
 痛い思いをするのかもしれない。でも、もしそれしかないのなら、ぼくがその身を差し出すしか……。
 ところが、その覚悟は不要なものだった
 いざ、ぼくが骨髄の提供を申し出ると、担当医は静かにほほえみ「心配には及びません」と言ったのだ。
「いずれは必要になるかもしれませんが、すぐにではありません。奏さんの病気は、白血病のなかでも慢性骨髄性白血病というもので、治療薬が有効です。いまは第三世代にあたるタンパク質チロシンキナーゼ阻害剤の新薬が実用化されていて、これだけで寛解する場合も多い」
 服用薬で経過を観察しながら数カ月後に次の方針を決めることになるという。数日で死ぬようなことはないとわかり、ほっとした。
 それでも本人にとって大病であることにかわりはない。せっかく覇気を取り戻しつつあった奏は、また弱気になっていた。
「苦労をかけてしまうな……」
 ベッドにからだを沈めた奏が、眼を閉じたまま吐息をもらすように言う。
「当面休んでもらうだけだよ。大丈夫」
 引きつづきの検査と輸血など回復のための措置で数日間入院するが、その後は薬を服用しながら、ほぼ常人と変わらない生活を送ることになる。
「とはいえ、病気持ちの身だ」奏は壁に向けて寝返りを打った。「四六時中、具合が悪くなるだろうし」
「副作用そのものがかなり軽くなっているみたいだよ。それに、抑える薬もあるから」
 ぼくは奏を安心させようと、担当医から教えてもらったにわか知識を披露した。
 筋肉痛、下痢や嘔吐、むくみなどの症状を心配するのは無理もない。抗癌剤を用いた化学療法に比べれば苦痛は少ないと言っても慰めにはならないだろう。
「薬でふらつくこともあるからと、運転もできないんだぞ。せっかくおまえの片腕になって役に立てると思ったのに、逆におまえの厄介になるなんて……」奏は何かに気がついたようにこちらを向いた。「叶」
「うん?」
「感染の危険がどう、とかはないのだろう?」
「うん」
「それなら、もっと寄ってくれないか。なんだか遠い」
 ぼくは一歩前に出て椅子を寝床の側に引き寄せる。そうして奏の手を握り、頭を撫でると、彼女は文句を言わなくなった。
 かわりに仰向けになったままの彼女の眼尻から涙が溢れてきた。
 女の涙は量が多い。拭き取れるものではない。
 流すに任せるか、服を汚させるかのどちらかしかない。ぼくは後者を選んだ。奏を抱きしめ、スーツがぐしょぐしょになるまでふところで泣かせた。
 そうして疲れたのか、不本意な顔のまま彼女は寝息を立てて眠りについた。

 次の日、ぼくは後ろ髪を引かれる思いで奏を神栖に残したまま帰京した。木瀬と今後の相談をしなければならなかったからだ。
 ひとつは戦術のプランニングだ。
 木瀬に対して空中戦とロングボールへの対策を施すように言うとかなり長い議論になったけれど、それで失点しているのは事実だからと、最終的には彼が対応策を考えることで決着した。
 もうひとつ、戦力補強についての話し合いはさらに難航した。なじめない浅沼と北山を放出対象にしているのに、補強はいらないというのだ。特に外国人は。
 理由を訊ねると、戦術を憶えさせることがたいへんだから、ここまでやってきた選手たちの力を引き出して戦いたいと、木瀬は繰り返した。
 国内市場からの選手獲得が難しい以上、対象が外国人になるぞと言ってもきかなかった。喧々囂々。ぼくが音を上げないので、センターバックにかぎっては獲ってもいいと折れてもらったが、木瀬は納得はしていないようだった。
 しかしディフェンダーを外国人でふたり揃えるというのも難しい。さっぱりアイデアが浮かばず途方に暮れていたところに電話がかかってきた。0596で始まる見慣れない番号だった。
「叶か。元気か」
「えー……あれ? 山鹿やまがさん!?」長いこと耳にしていなかった声で誰かがわかると同時に、なぜかけてきたのだろうと大きな疑問符が浮かんだ。「なん…あのー……えと……」
「いや、代表から、おまえが困っているようだから話をしてやれと言われてな」
 山鹿はぼくが通っていたジュニアユースから見てトップにあたる企業チームの中心選手だった。ちょっとした時間に練習の相手をしてもらったり、何かとよくしてくれたおとなの男。人生の大先輩と言ってもよかった。思春期らしい相談もしてしまったけれど、いま思い返すとそうとう恥ずかしいことまで山鹿には打ち明けていたような気がする。
 彼はその後、三重県のアマチュアクラブ、大和蹴球団に移籍したのだという。
 ぼくが南米に行っているあいだの出来事だ。
 企業チームからアマチュアクラブへの移籍ということは、仕事はどうしているのだろう。三重県に住むお嫁さんでももらったのだろうか。
 聞きたいことがいろいろ浮かんでくる。でも先に訊くべきはそこではない。
「その、大和蹴球団の代表の方が、どうしてぼくに連絡をしろと? いまの電話番号、よくご存知でしたね」
 この質問を予期していた山鹿は「うむ」と言い、背後関係を説いてくれる。
「ウチの隠れたメインスポンサーは伊勢神宮なんだ。で、鹿島神宮から伊勢神宮に話が来て、そこからクラブにと。そういう流れだ」
 すると、田頭が手を廻したのか。ぼくは戦力的な不満は口にしていなかったのに。
 あるいは、外から見てもはっきりセンターバックが穴だとわかるくらい、だめだということなのか。
 ぼくが選手探しで困っていることを伝えると、山鹿は相談に乗ってやるからこっちに来い、という。
「いま仕事と家のことでなかなか離れられなくてな。来られるか?」
 行くしかないだろう。クラブを救う道程として、神宮から神宮をつなぐこの不思議な領域の旅行を迫られているというのなら。

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