前回までのあらすじ

パラグアイのクラブ「リベルタ」に所属する日本人サッカー選手「群青叶(ぐんじょう・かなえ)」は、南米大陸二大カップ戦のひとつ、コパ・スダメリカーナ遠征に参加。コロンビア西岸の都市カリにてベスト8進出をかけた決勝ラウンドに臨んだ。この試合でPKを外し、サッカー賭博に大番狂わせの結果を招いた群青は、大量の資金流出を余儀なくされた麻薬密売組織の怒りを買い拉致されるが、東京のプロサッカークラブ「銀星倶楽部」常務、松重崇(まつしげ・たかし)によって救い出され、帰国する。
「銀星倶楽部」オーナー上水流領(かみずる・かなめ)の死後、群青は同クラブの社長に就任。経営危機に揺れるクラブの再建に乗り出した。
しかしカジミエシュ・チェシュラック監督の更迭とライバルであるインテルクルービによる彼の「強奪」、銀星倶楽部の女子部にあたるGEKKOコンピュータシステムサッカー部の解散とそれを批難するキャプテン栢本里昴(かやもと・りよん)の出現、インテルクルービへのスタジアムの優先使用権譲渡など、いくつもの予期せぬ出来事にさらされ、新米社長の群青はうろたえるばかり。リーグの会合ではインテルクルービのオーナー神足一歩(こうたり・かずほ)の正論に圧倒され、非力さを痛感する。
問題解決を迫られる群青は、三軒茶屋で地元の愚連隊を取り仕切る男にしてスーパーマーケットチェーンの経営者、山田(やまだ)とミダイの協力により、女子部全員の就職先と新たなホームスタジアムの確保に成功する。そのミダイが過去にけがを負わせたことを里昴の盟友・蓮田(はすだ)チカに謝罪すべく訪れた練習場で、チカと外国人の少女タチアナがとっくみあいの喧嘩を始めてしまう。インテルクルービとまちがえて銀星倶楽部の練習にやってきたタチアナとともにサッカーをしようという里昴の配慮が招いた事態を、群青はからだを張り収拾する。
タチアナたちを迎えに訪れたインテルクルービの専務であり腹違いの姉である上水流奏(かみずる・かなで)から、銀星倶楽部強化部長の柳川(やながわ)が選手の移籍に際して不当に利益を得ていたことを知らされた群青は、ふたりで成田空港へ。出国寸前の柳川を捕まえることに成功するが、その代償に選手獲得ルートを失ってしまった。
貧弱な戦力を新任の監督老松尚之(おいまつ・なおゆき)はまとめきれず、新シーズンの開幕戦を落とし、不穏な空気が漂い始める。
トップチームに緊張が走る一方、女子部は消滅しかけていたもう一チームとの合体により存続、融合がうまくいっているかに見えた。しかし差別を含む人間関係の悪化で里昴が山田の店を退職すると、本人は落ち込み周囲にも動揺が走る。この非常時に群青は女子部の副キャプテン琴川桜花(ことがわ・おうか)と示し合わせ、里昴の気持ちを落ち着かせることに成功する。そして新しい職場として銀星倶楽部事務所アルバイトの口を提供すると、ようやく里昴に笑顔が戻った。
だが、苦難を経てより結束を強めた女子部と対照的に、トップチームは完全に崩壊。一引き分けを挟む一一連敗を喫し、群青は老松を更迭した。
コネクションがない状態で新監督探しに乗り出した群青は、都リーグの会場で社会人チームの指揮を執るひとりのユニークな男を発見する。試合後に本人から名前を聞き出して調べると、四年前に暴力事件を起こしてサッカー界から離れていた元プロ監督、木瀬正親(きせ・まさちか)であることがわかった。
監督就任を要請する群青に対し、木瀬は「どれだけ負けても解任するな」と要求する。それは責任逃れと失職対策ではなく、クラブの価値観を築くうえで必要なことだった。群青は木瀬を守りぬく覚悟を固め、新監督に据えることを決めた。
木瀬の許で再出発を図った銀星倶楽部トップチーム。内容は向上するが、それがすぐ結果に反映されるわけではない。今シーズンの銀星倶楽部が必勝祈願をしていないと知ると、山田はそれも弱体化の一因だという。オカルト論ではなく、日常の一つひとつを研ぎ澄ませている者が強いのだと。それは平均的な戦力でビッグクラブに対抗している鹿島N.W.O.にも言えることだった。彼らと銀星倶楽部とでは何から何までちがいすぎる。求められていないのなら存在する必要がないのではと悩む群青を、里昴はホームゲームごとに通うおばあさんを例に挙げ、ごくわずかなファンを満足させられないのなら先はない、インテルクルービに負けるな――と励ます。
しかし現実に連敗は止まらず、ますます窮地に追い込まれていく。切羽詰まった状況で、木瀬は群青に対し、現役復帰を要請した。
群青はひとまず練習に参加してチームの役に立とうとはするが、選手登録の決断は先延ばしにした。
迎えた週末のインテルクルービとのダービーマッチは、現在は相手のホームとなった湾岸スタジアムを借りてのホームゲーム。練習の成果が反映されることを期待してスタンドで観戦する群青だったが、対策を施されての〇―三の完敗という結果を受け、怒りに荒れくるうゴール裏のウルトラを鎮めるため、走り回るはめになる。チームバスを脱出させた群青が得たものは軽いけが、そうして少なくないファンを失ったという事実だった。
松重と監査役からは会社を整理する方向で検討に入ると伝えられ、銀星倶楽部は今シーズンかぎりで消えることが濃厚になる。そこへタイミングよく、インテルクルービのオーナー神足一歩から、関係企業を通した資金援助の提案を持ちかけられる。しかしそれは銀星倶楽部を乗っ取ろうという神足の策略である疑いが濃くなり、群青は里昴とともに使者の奏を説得。断りの返事を持ち帰らせる。
すると翌日、奏がインテルクルービ社内の陰謀によって解任同然の事態に追い込まれた。激しく動揺する奏を群青は優しく慰める。
会社の行方が定まってきたことから出向の身分だった松重はリーグ事務局に復帰。常務の座が空位になる。
そしてさらに数日後、会社存続の鍵を握るクラブライセンス継続に向けた逆転の機会であるフットボールリーグの会議に銀星倶楽部常務として姿をあらわしたのは奏だった。群青はインテルクルービの専務となった松重と短く火花を散らす。
事前の工作も功を奏し、銀星倶楽部のライセンスを剥奪するか否かについての議論は五分となり、裁定は元鹿島N.W.O.最高顧問の賢老、田頭重國(たがみ・しげくに)に委ねられる。神栖に住む田頭は自らの許を訪れた群青に対し、この国と世界の成り立ちとフットボールのとの関係を説き、それを大きく変えかねない神足への懸念を表明。銀星倶楽部の延命に協力するかわり、インテルクルービの優勝を阻むよう求める。
今後への足がかりを掴んだ群青に、近隣で待機していた奏から急な報せが入る。体調が悪化し、自ら救急車を呼んだのだ。慢性骨髄性白血病と診断された奏は薬物投与で治療する方針を採るが、数日間、神栖の病院に足止めされることになる。
後ろ髪を引かれる思いで帰京した群青は木瀬と戦力補強と戦術変更についての打ち合わせをおこない、センターバックの補強を決める。ルートを持たない群青に一本の電話が。それはジュニアユース時代によく面倒をみてくれたアマチュア選手、山鹿(やまが)からのものだった。

第一一話 戦争の新しい種類ⅡA New Kind of War Part Ⅱ

tedd04a 伊勢市駅の前で逢うなり、山鹿はぼくに歩み寄り、握手を求めてきた。
「久しぶりだな。元気にしていたか」
「ええ、まあ……」
 本音を言えば、奏を神栖に残したまま、木瀬とヘヴィな交渉をしたあとで、気持ちはちょっとぐちゃぐちゃで、落ちている。と、思う。
 さすがにそれは、つくり笑顔を通して相手に伝わるだろう。
「どうした」
 厚みのある右手を離した山鹿は、左の手でぼくの肩を抱えるように掴む。事情を説明するべきか。逡巡したけれど、山鹿が言いふらすはずがない、そもそも信用できない相手ならいま自分はここに来ていない。彼になら話してもいいだろうと、ぼくは思った。
「じつは……」
 奏が病気になったことを打ち明けると、山鹿は少しだけ驚いたような表情を見せ、「お気の毒に」と言ったあと、ぼくにこう提案した。
「伊勢神宮に行ってみるか。内宮ないくうに祀ってある天照大御神あまてらすおおみかみ須佐之男命すさのおのみことのお姉さんだからな、何かいいことがあるかもしれない」
 でもその前に、外宮げくうへ行こう、と山鹿。
「ここから近いんですか」
「すぐそこだよ。歩いて一〇分くらいかな」道すがら、祀られている豊受姫とようけびめの由来を、山鹿は教えてくれる。高校もきちんと出ないで南米に行ってしまった自分にとってはよい勉強だ。「豊受大御神──トヨウケビメは、女性神のイザナミ、アマテラスは男性神のイザナギから生じた神様だ。トヨウケビメは丹波に祀られていたんだが、アマテラスが食事の際、話し相手がいなくて寂しいというものだから、こちらに遷されたんだよ」
 奏にはそんな友だちや親戚はいない。同じ職場になったことだし、里昴がなかよくしてくれるといいのだけれど。
「それで内宮の手前にある外宮に」
「そうだ。いかにも女のひとっぽい話だろう」
 いまごろ、奏はどうしているのだろう。寂しがっているだろうか。
 外宮での参拝を済ませると、道端で待つように言われた。しばらくしてあらわれたのは、山鹿が運転するワゴン車だった。
 なるほど、外宮の駐車場に停めておいたから、ここまでは歩いてきたのか。そう納得しながら、山鹿の車をしげしげと眺めると、ドアに「山鹿陶芸」という文字が刷られていることに気がついた。
「山鹿さん、お店始めたんですか」
「ん。あ、これか? おれな、いま陶器つくってるんだよ」
「山鹿さんが?」
「うん」
 器用そうではない分厚い手で――いや、だからいいのか? ろくろを廻している姿がさっぱり想像できない。
 東京に住んでいた頃、陶芸を趣味にするようになった。かなり本気で取り組みめきめきと腕前を上げたある日、三重県伊勢市の大和蹴球団からオファーの連絡があった。プロとしての給料は出せないが、就職斡旋も含め、自治体や神宮の総力を挙げて厚遇すると言ってきた。
 最初は迷っていたが、伊勢とその周囲が陶器の産地であることを知り、急速に心が傾いたのだという。
「それで移籍を決めたんですか」
「ああ。いや、全然知らなかったんだよ。東京でも師匠からは純粋に技術のことしか聞いていなかったし、まさか伊勢にそういう一面があるとは、さ。まあだから、これも何かの縁かもしれないと思ってね。生活の心配がないようにしてくれそうな配慮も感じたし。いいだろうと」
 大和蹴球団に所属する前、山鹿は東京の企業チーム、残光金属サッカー部にいた。ぼくが中学のときに通っていたジュニアユースはその下部組織で、必然的に交流が生まれた。
 高校卒業後に二年間、プロでプレーしていたが、この世界に嫌気が差して働きながらプレーすることを選んだ。その後、残光金属で正社員に。手堅く企業人になりきらないところは、らしいと言えばらしい。
 身長は179・6センチでわずかに180センチに充たない程度。しかし尋常ではないジャンプ力があり、190センチ級とも空中戦で渡り合える。試合の終盤に彼が上がるパワープレーは「山鹿大作戦」と呼ばれたものだ。
 残光金属時代、人員不足でフォワードに転向したシーズンは、利き足は頭と陰口を叩かれるほどのヘディングの強さで4部オーバーリーガの得点王に輝いた。非常に逞しいメンタルの持ち主だった。ことしで三四歳になる。
「てっきり、婿入りするために三重県に来たのかと思っていました」
「うん、結婚はしたよ」
「え……ほんとうですか」
「まあ順序が逆だけどな。移籍して仕事を探すときに陶芸教室の講師をしていた女のひとと知り合って」
 冗談ではないらしい。適当な予測が当たると、かえって面喰らってしまう。
「すみません、知らなくて。おめでとうございます」
「ありがとう。正直、自分には出来すぎたお嬢さんだとも思ったが……神官の娘で家柄もいいし」
「そんなにですか」
「見てみるか」
 車に乗り込み、シートベルトを締め終わると、タブレットを渡された。待ち受け画像になっているのは、黒髪でおかっぱのかわいらしい女の子だった。どう見ても二〇歳はたち未満の、とびきりの美少女にしか見えない。
「山鹿さん」
「なんだ?」
「これ、犯罪ですよ。何歳差ですか」
「いや、意外に差は少ないぞ。嫁はすごい童顔だから」
「だから何歳差なんですか」
「八歳」
 ということは、いまは二六歳くらいか。そう考えるとおかしくはない。が……。
「けっこうあるじゃないですか。山鹿さんがプロやってたときに、奥さんまだ小学生ですよ」
「いや……うん。そうだな。でも最初、向こうから寄ってきたからな。サッカー選手補正はだいぶ入ってると思うぞ。サッカーやっててよかったよ。それだけで評価が五割増しだ」
 他愛もない話を繰り返しているうちに車が停まった。着いたのは内宮ではなく月読宮だった。
 内宮と外宮だけでなく、伊勢には神社がたくさんある。天照大御神の弟で須佐之男命の兄にあたる月読命つくよみのみことを祀った月読宮つきよみのみやくらいは行っておこうよ、と、山鹿は言う。ややこしいことに月夜見宮というものもあって祀ってある神様は同じものらしいがそっちはスルーする、とのことだった。
「よくわからないんですが」
「まあ、ここに来ると、ツクヨミだけでなくイザナギとイザナミを祀った神社にもお参りできるから、お得なんだよ。家族を網羅できるだろう」
 思わぬ観光旅行だけれど、いきなりどこかに座って顔を突き合わせながら話すよりもよかったのかもしれない。山鹿に関する空白が埋まり、距離が近づいていくのがわかる。
 彼のうんちく話はおもしろい。
「世界各地の神話で太陽神は高い格を有している。ミトラス神話のミトラスとは名前も似ているし、おおもとは同じなのかもしれないな。なにせ、太陽はひとつだから」
「詳しいですね」ぼくは素直に、興味深く聴いていると伝える意味も込めて返事をした。
「そんなんでもないよ。ふつうに考えるようになっただけで」
 月読宮をあとにして内宮へと向かう。ここの駐車場は混雑していたが、なんとか停められた。
「川の向こうに体育館とか陸上競技場があるんだよ」山鹿がドアを閉めながら言った。それは知らなかった。てっきり、そういう施設はもっと遠くにあるものかと思い込んでいた。「三重県営総合競技場って言うんだけど、そこがおれたちのホームスタジアムだ」
 天照大御神が見守るすぐ傍にスタジアムが――鹿島神宮の威光に守られている鹿島N.W.O.みたいだ。
「ご利益ありそうですね」
「まあ、そうだな。それにな、二万人入るんだよ。埋めたことないけど」
 五十鈴川で手を清め、滝祭神たきまつりのかみにお参りする。滝祭神は天照大御神に取り次いでくれる神様なのだそうだ。さすがにここまで来ると、奥まった雰囲気だ。
「こう言ってはなんだが、お姉さんはあまり運がよくなかったみたいだな。おれも、知り合いに白血病の患者がいて調べたことがあるんだけど、発症率は慢性より急性のほうが高いんだよ。慢性のほうがかかりにくい。発症する確率は二〇万人にひとりだ。それに、慢性骨髄性白血病は青年層も罹患するけど、本来は中年に多い病気なんだ。しかも男性がよくかかる。たぶん、お姉さんはレアケースだ」
「……」
「ネガティヴな情報を入れてすまんが、そう悲しい顔をするな。だからこそ、しっかり拝礼しないとな」
 そうして山鹿とぼくは鳥居をくぐった。
「どうだ、少しはすっきりしたか」
 参拝を終えて帰る道すがら、山鹿が話しかけてきた。
 言われてみれば、心が平静になった気がする。これがご利益というものなのか。
「はい。落ち着いてお話できそうな気がします」
 茶屋に入り、あらためて銀星倶楽部の現状について話した。
 他クラブから選手を供出してもらえない状況を説明すると、山鹿は義憤を感じたのか「赦せんな……」と漏らし、残り半年間限定ではあるけれど、一も二もなく手助けを決意してくれた。
 ぼくは、広くピッチを見ることができるボランチかセンターバックのポジションにチームの核が欲しいと思っていた。山鹿がその役を担ってくれれば、これほど嬉しいことはない。
 得点王のときを知っている自分からするとセンターフォワードをやってほしい気もしたけれど、いまのチーム状況を考えたら、やはりセンターバックで軸になってもらわないと困る。攻撃的なポジションの経験があるだけあって足許の技術に秀でているからビルドアップの点で安心できるし、奪ったら奪ったでロビングのパスが上質だから、起点になるばかりか一気にウラを衝くボールでロングカウンターを決めるアシスト、なんていうことも期待できる。そのうえ、空中戦の強さを生かしてセットプレーで跳ね返したり、セットプレーの攻撃ではヘディングシュートを決めたりしてくれれば、鬼に金棒だ。
 この温厚で心の広い、そして動じないパーソナリティだから、若手から癖のあるベテランまで、チームのみなに慕われることも確実だと思う。ほんとうに心強い存在だ。
 山鹿は自前の人脈を駆使して補強を手伝うとまで言ってくれた。
「プロがその状態なら下のカテゴリーから引っこ抜くしかないが、今シーズンはおいしい選手を動かすのは無理だな。どこも優勝や昇降格がかかっているし……そのかわり、外国人なら、ひとりくらいいけると思うぞ」
 物産とか商事が社名に入っている、海外と取引がある企業に顔が利く。それは山鹿の人徳だ。
 話は弾み、その晩、山鹿の家に泊めてもらうことになった。奥さんの手料理をいただき、風呂に入り、横になる。しばらくぶりにふつうの生活をした気分だ。こんなの、いつ以来だろう。
 畳敷きの部屋にふとんを敷き、山鹿と隣り合って寝た。
「そういえば群青、おまえ、結婚はしたのか」
 仰向けになりしばらく経った頃、山鹿が訊ねてきた。
「いえ。まだです」
「あれ? いまいくつだっけ」
「ことしで二四ですね」
「そうか。ちょっと早いかもしらんが、でも、そろそろ身を固めてもおかしくない頃合いだな。周りに候補はいないのか」
 自分の店を構え、所帯も持った、一人前の男らしい心配だ。山鹿からするとぼくごときは、ふわふわしていて頼りなく見えるのだろう。
「候補ですか……」日本に戻ってきてからの人間関係を思い浮かべる。「会社の職員か、女子部の選手くらいですかね」
「あ、女子部は気をつけろよ」
「そうなんですか?」
「ああ。女子の指導っていうのはたいへんなんだ……男の指導者からのセクハラ、パワハラもあるいっぽうで、選手が監督を気に入らないと、セクハラをされたとかで騒ぎ立てて、クビに追い込むこともあるんだよ。だから知り合いで女子のコーチをやっているやつらは、どちらの意味でも問題の発生を予防するために、面談するときには、ドアを開け放しておくらしい」
 そんなことは初めて知った。意識しすぎるとかえってよくないような気がする。知らなかったことにしよう。

 東京に戻ってきたぼくを出迎えたのは、タチアナと連れ立ってやってきたチカだった。
 いつかの練習で取っ組み合いをしたふたりだ。あのとき、タチアナは日本に着いたその脚で新砂運動場にやってきていた。インテルクルービの練習とまちがえて――ゲーム形式のメニューで対戦して熱くなり、けんかになってしまった。
「いつの間になかよくなったんだ?」
 驚くぼくに、チカは苦笑する。
「連絡先は交換していますけど、ふつうですよ。ここにも別々に来たし……。わたしは里昴、タチアナは奏さんに逢おうと思って。きょう、奏さんは?」
 重役が大病を患っているというたぐいの情報は口外しないものだ。話してよいものだろうか。
「かなで、いない?」
 タチアナが泣き出しそうな眼でぼくを見ている。嘘を貫き通すのは難しそうだった。ぼくは奏が旅先で体調を崩し、そのまま休んでいること、あす迎えに行ってくることだけを伝えた。
「連れてきたら逢わせるから」
 そう言うとタチアナは素直に頷いた。そして「やくそく。れんらくさき」と言い、ぼくからメールアドレスと電話番号を聞き出した。そこでようやく気がついたが、タチアナはスペイン語を使っていなかった。なるべく日本語を使おうとしているのだろう。聞き取りが上達しているようだ。
 しょんぼりするタチアナをぼくとなだめて送り出したチカは「ちょっとお借りしますね」と言うと、今度は里昴を連れて外に出た。
 一時間後、里昴がとぼとぼと歩いて戻ってきた。俯き、表情に翳がさしている。
「これ……」
 ちぎれてしまいそうなほど強く握りしめたメモ用紙を、里昴は開いて見せた。
 カタカナで“ディータァ・フローエ”と書いてある。下に欧文でのつづり“FLOHE,Dieter”。そして電話番号とメールアドレス。
「誰?」
「わたしの父、だそうよ」
 頬の筋肉がこわばっている。ぼくは里昴をソファに座らせた。彼女は逆らわなかった。
「その紙は? チカがくれたの?」
「そう。いっしょに入って、カフェに……チカは、父が、わたしたちと桜花のチームをくっつけ……」
 話しているうちに、まとまらなくなってしまったか、よくわからなくなってしまったようだ。あとの言葉が出てこない。
「ゆっくりでいいよ。チカは最初になんて言ったのかな」
「チカは、大事なことから伝えたいって、わたしにお父さんがいることがわかったんだ、って言ってきた」
「それは、どうしてわかったの?」
「桜花に教えてもらったんだって。その……チームを合併するときに、ウラで動いていたのが、父と名乗っているひとだというように。どうしてわたしが、わたしたちが、そういう状況にあると知ったのか。そこまではチカは話してくれなかった」
「チカが話したのは、どこまで?」
 ぼくは急がずに訊く。いちどきにすべてがわかるはずもない。
「どうにかしてわたしたちが困っていることを知った父は、それを解決したいと思ったみたい。でも、自分がしゃしゃり出て話が壊れると嫌だから、知り合いのジャーナリストを動かして、業界で女子チームを運営しているひとを探したらしいの。そうしたら、広告代理店勤務の男性が代表として維持してきたチームが解散寸前になっていることがわかり、キャプテンの桜花に伝わって、わたしに――」
「それが、冬の話?」
「そう」
「どうして桜花は、いままでそのことを黙っていたんだろう」
「いえ、もちろん話してくれたわよ。看板を掛け替え、新チームを結成するときに。でも桜花にしても、そのジャーナリストが結びつける話を持ってきてくれたんだ、としか知らなかった」
「えっと……」
「だから! チカがきょう話してくれた、そのジャーナリストの背後にいたのが、わたしの父親だ、ということが――父が生きていて、いま日本にいるということが、新しくわかった事実で、そのこと自体が問題なの! わたしは……」里昴の口調が苛立たしげになる。頭をかきむしり、抱え込んだ。「どうして……」
 ぼくは話の矛先を少し変えることにする。
「それで、さっきの電話番号を渡されたんだよね」
 里昴は頭をかきむしるのをやめて前を向いた。
「向こうが電話をかけてくるんだって。今晩」今度はため息をつき、眼を瞑る。「どうしよう。電話に出たくない。もう落ち着かなくて、おなかが痛くなりそうだし。先にいま、こっちからかけて、電話するなって断ろうかしら」
「話しにくい? いろいろ、訊いてみたくは?」
「わたしが幼い頃に何があったのか。いままでどうしていたのか。なぜいま、あらわれる気になったのか。何をしたいと思っているのか。どんな気持ちなのか訊きたい――いえ、問い詰めたいわよ、それは。でも、あまりに憎たらしすぎて、ちゃんと話せそうにない」声が震えてくる。里昴は両の二の腕をさすった。「ずっとほうっておかれたのよ。ずっとひとりぼっちで」
 彼女の育ての親である栢本涼風の件について持ち出そうかとも思ったのだけれど、やめておいた。神足の活動に巻き込まれ、奪われてから何年も経つようだし、ともに暮らせていた時期にもしあわせであったとはかぎらない。これまでの人生を通して考えたときに、里昴がずっと孤独に追いやられていたと感じるのは無理もないことなのだ。
 かと言って震えるからだに触れるのもためらわれた。あまりに張り詰めすぎていて、ぼくが何かをすると、決壊しそうに感じられる。
「だいたいなんで夜にするの。いまかけてくればいいじゃない」
 里昴の抗議はつづいた。
「向こうも忙しいのかもしれないし、こちらが忙しいと気を遣ったのかもしれないよ」
「だから男はばかだっていうのよ。待たされる身にもなってみなさいよ」
「里昴――」
 動こうとした瞬間、右隣に座った里昴の左手に、ぼくは右肩を掴まれた。右手にはメモ用紙が握られている。
「ねえ」極度に感情的になっているのがわかった。「どうしたらいいと思う」
 ぼくは彼女の左手と右手を束ね、両手で包み込んだ。
 今際の際にかけつけた自分にしても、妾とその子を放置してきた生みの親である上水流領に対面した途端、怒りが沸騰した。もうすぐ死ぬからといって赦す気にはなれなかった。だから、里昴の気持ちはよくわかる。強い恨みはかんたんには消えてくれない。
 ただ、根無し草のようになっていた自分に仕事を与えようとしてくれたのは事実だ。だいたい、血のつながりがわかり、奏との縁を切ったあと、連絡を断って逢えなくしたのは自分のほうだった。領がたとえ根性の腐った人間だったとしても、償いの気持ちで何かをしようと考えていたかもしれないのに、それを確かめる機会を失くしたのはぼくだ。
 失ってみれば、もっとわかりあえる可能性もあったのではないかと思う。
 里昴の父、ディータァ・フローエが、銀星倶楽部女子部を延命させるべく動いたということは、やはり償いたい気持ちがあったからだろう。そして逢いたいという気持ちを抑えきれなくなったのではないか。
 領はぼくに銀星倶楽部を託した。フローエも何かを託す気になったのかもしれない。何か悪巧みをしていてやっぱりこいつはクズだった、という結末を迎えるにしても、実際に逢ってみないとわからない。そのクッションに、電話で話してみるのも、悪くはないだろう。
 だとすれば。ぼくからは、話をするように勧めるべきだ。
「……夜までに気持ちを鎮めて、話をしてみたらいいんじゃないかな。きょうはもう、仕事をしなくてもいいから」
「そんな、かんたんに落ち着けると思う?」里昴の口調がかすかに怒気をはらんでいる。「落ち着かせ方も知らないくせに……」
 ぼくの手を払い、里昴は席を立った。
「里昴!」あわててぼくも立ち上がる。
「ああ、もういい。もういいから。いまのもなし」上着の袖で顔を拭うと、里昴は事務室に入り、自分の机から荷物を持ってくる。「お言葉に甘えて早退させていただくわ。あしたはちゃんと朝来るから。また」
 そのまま振り返らず、事務所をあとにする。
 ぼくはルーレットを外したような敗北感に襲われた。でも、ボタンの掛け違えを捨てておけない。いまはなすすべがないけれど、彼女がこのままでいいはずがない。
 里昴の名前を口にしようとすると、苦い味が拡がった。

 次の日、ぼくは朝いちばんに神栖へ車を飛ばし、奏を迎えに行った。
 さいわいなことに奏は元気だった。治療薬と副作用の抑止薬がよく効き、懸念された吐き気もほとんどないという。体調がよくなったことで弱気も吹き飛んだらしい。
 ただ、完全にというだけではなかった。クラブ事務所に着くと、弱気の虫が顔を覗かせた。
「こんなしょぼくれた状態でみなに顔を合わせたくない。幻滅されるかも」
「体調を崩して検査入院したというところまでは話してあるし、きょうに関してはまず勤務してみて、具合が悪くなったら早退すればいいよ」ぼくは奏の肩をさすりながら言った。「あしたの朝、社員全員を同時に集めてほんとうのことを伝え、箝口令を敷く。そこは大丈夫かな?」
「うん。それでいいと思う。隠すより、身内で共有してよく理解してもらえたらいい」
 奏を執務室に送り届けると、里昴が顔を出した。
「社長、ちょっとよろしいですか」小部屋に入り、後ろ手にドアを閉めると、口調が変わる。「昨日の夜、電話がかかってきて」
「うん。どうだった?」
 機嫌は治っているようだ。よい進展があったにちがいない。ところがその期待は、次のひとことで軽く裏切られる。
「声を聴くだけでむかむかしてきたから、あんたなんか大嫌いって言って切っちゃった」
「え……」
 ぼくは二の句が継げなかった。
「そうしたらもう一度かかってきて。とにかく謝りどおし」
「それは聴いたの?」
「最初に爆発してちょっとだけすっきりしたから、いちおうね」
「で、何を話したの」
「ほんとうはすぐそちらに飛んでいって直接謝りたいのだけれど、しばらく動けない、失礼なのはわかっているが、招待するから、避暑がてらこちらに来てくれないかって言ってきた」
「避暑? どこなんだ?」
「北海道よ」
「北海道!?」
 いきなりすぎる。最低限のことさえ話してもらえないのでは行きたくない。そう、里昴が強硬に拒否すると、ようやく電話の主は自らの来歴の一部と現状を話した。
 里昴の父と判明した男、ディータァ・フローエは、かつてドイツやオランダで活躍したプロサッカー選手だった。欧州で現役を退き、日本には指導者としてやってきたのだという。二〇〇六年のことだった。二年後にチェコ生まれのモデルであるアンナ・カフコヴァと恋に落ち結婚。翌〇九年に里昴が生まれたが、彼女が二歳のときに亀裂が入り、ふたりとも別々に帰国。里昴は取り残されることになった。
 そこまで聴いて、里昴はもう一度泣きながら怒った。するとフローエは電話越しでも平身低頭なのだろうとわかるくらいに、償いをさせてくれと連呼したらしい。
 フローエが説明するには、彼はことしになってから再来日を果たし、久々にサッカー関係の仕事を始めた。これはドイツで成功しつつある事業の一環なのだという。
 日本での仕事のひとつが、トルメンタ・エネルノルテ――北のいかづち、という名を持つ4部のアマチュアクラブで総監督として指揮を執ることで、直轄の施設はもちろん、ホームタウンにしている釧路のさまざまな施設を優先的に使う権限までを持っている。経済的な余裕も生まれつつあるから、十分償いができるのだと、フローエは訴えた。
「でね、むしゃくしゃしたから、いっちょう利用してやろうと思ったの。いま、クラブ総出で夏のキャンプ地を探しているでしょう。夏の北海道なんて、避暑地の定番だし、ちょうどいいじゃない。だから――いままでひとの人生をむちゃくちゃにしておいて、わたしひとりを北海道に呼ぶくらいの負担でこれまでのことがすべて赦されると思ったらおおまちがいだ、そんなに羽振りがよくて権限があるなら、わたしの勤め先を丸ごと呼ぶくらいじゃないと誠意とはみなさない、って言って電話を切るふりをしたの」里昴は呆れた顔でため息をついた。「そうしたら、さらにあわてて、そうする! 全員呼ぶ! っていうから、ウチはサッカークラブなんだけれど、そこのところはわかって言ってるのよね、って言い返して。それにも、わかってます! わかってます! って連呼して。結果がこれ」
 そう言うと里昴はタブレットを差し出した。
「これは?」
 ぼくは受け取った端末のディスプレイを見て訊ねた。
「わたしの父の贖罪とやらで、ただ同然で使えることになったキャンプ地よ」それは北海道の釧路にある新規の合宿施設だった。宿泊施設と食堂も備えている。「足の心配をしているんだったら大丈夫。飛行機代も含めてほとんど向こう持ちだから」 
 トルメンタ・エネルノルテが使う新しい練習場にはコートが何面もあり、その豪華な設備で他県から利用客を誘致しようとしている。しかしまだオープンしたばかりで宿泊施設もコートも空いており、一週間から一〇日、銀星倶楽部のトップチームと女子部に貸し出すのにはなんの問題もないとのことだった。
「でもこれで赦したわけじゃないし、やっぱり逢うのは気が進まない」里昴は上目遣いにぼくの顔色を窺った。「ちゃんとついていってくれるわよね、叶くん。なにしろ社長なんだし」
 そのエスコートの頼みを断れるはずもなかった。まだ気持ちの整理がついていない彼女が、自分のことはさておいても、銀星倶楽部にくれた貴重なキャンプの機会だ。
 木瀬は完全に崩壊したチームをまともに戦えるようにしようと、かなりのところまで立て直してくれたけれど、まだ十分とは言えない。それどころか、監督交替当初にあったカンフル剤のような効果も切れ始めている。フィジカルもメンタルも含めてもっと鍛えないといけない。
 新鮮な環境で合宿をすれば、それらを仕切り直しながら、一体感も得られるはずだ。
「もちろんだ。ぼくも行くよ、里昴」
 彼女の顔が少し綻ぶ。
「心細いんだから。頼むわね」
「ああ」それと、先延ばしにしていた決断。「あと……次のウインドーで、監督に言われていた選手登録、しようと思うんだ。試合に出ることはないだろうけれど、このキャンプからいっしょにからだを動かして、チームもクラブも押し上げていきたい」
「やっとね」里昴は、遅いよ、というニュアンスを込めて言う。
「うん。決心した」
 このチャンス、必ず生かしてみせる。


小説『エンダーズ・デッドリードライヴ』WEB版連載は今回で最終話です。
続きは、現在製作中となる書籍版にてお楽しみください。

完全版となる書籍版『エンダーズ・デッドリードライヴ』は7月18日発売予定となります。

現在、鋭意製作中です、ご期待ください。

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