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中田英寿という生き方(前編)【フットボールサミット第2回】

text by 大泉実成 photo by Kazuhito Yamada

彼らが見知っていた「英雄になる以前の中田」

 一方で、彼らが見知っていたのは、サッカーの能力もさして自分たちと変わらない、いわば「英雄になる以前の中田」だった。だから、何人かのチームメイトは、当時のエピソードを語ることを拒んだ。英雄になってしまった中田のイメージを汚すことを恐れたのである。

 たとえば船越は、英雄になる前の中田を「変わり者」と言った。これは、多くのチームメイトが同様の証言をしているので彼の独断ではないだろう。しかし具体的なエピソードは話したくないと言った。その代わり、当時の中田の印象を次のように話してくれた。

「ちょっと一匹狼みたいなところもありましたし、かといって嫌われ者とかいうのじゃなかったけど、人とはやることが違ってました。サッカーやらしたら能力は高かった。フィジカルも強かったし、説得力のあるようなしゃべり方をした。戦術に関してもずば抜けてたなと、今から思うとそう思います。そん時は何言ってるかわからなかった(笑)」

やっぱすごい、いなかの子っていう感じ

 容易に人とはつるまない。これも当時のチームメイトの共通した見方だった。しかしこれはと思った人間とは積極的に交流している。このチームで、それは中田にとって財前だった。

 日本代表の練習が千葉の検見川で行われていた時代で、財前の家は千葉にあったので韮崎の中田は合宿のときによく泊まりに来た。財前には当時の人懐こかった中田の印象が強い。「やっぱすごいいなかの子っていう感じで、自分はヴェルディのユースとかでやってたんで『どんな練習してんの?』とか、ものすごく興味を持ってたんですよね。で、寄ってきたんで、すごい仲良くしてましたね」

 いなかの子、というのは少し意外な言い方だが、少年時代からヴェルディのユースで育ってきた都会的なエリート少年たちにとっては、中田は山梨からやってくるおかしなファッションの子どもに見えたらしい。これについては今でもおしゃれな財前が笑いながら話してくれたし、やはり読売育ちだった一木は、中田がはいていたチェックのズボンについて今でもよく覚えていて「東京ではあんまりはやっていないチェックのズボンをお洒落に(?)着こなしていて、当時からファッションは個性的だった」と言っていた。後の成田コレクションを髣髴とさせる話で、なんというか、人間というのは基本的にあまり変わらないものだなと思う。

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