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ジュニサカ 11年前

サッカーの現場に体罰はあるのか?『小澤一郎の育成指導をさぐる旅』

text by 小澤一郎 photo by editorial staff

“ふさわしくない行為”の線引きが難しい

 ただし、JFAがいくら「暴力根絶」を訴えたところで暴力や体罰の定義が曖昧であり、今回の宣言でも指導者登録の抹消、取り消し規定に明記される「ふさわしくない行為」がそのまま残った以上、「どこからが暴力か?」「何が体罰か?」という解釈の幅は広く、難しい問題であることに変わりはない。

 例えば、前回の旅で取り上げた新座片山FCの“げんこつ制裁”は他人から見れば「暴力指導」になるのかもしれないが、川原代表をはじめとする指導者、新座片山FCの指導法を理解して入団した選手、保護者といった当事者間では「厳しい指導」という認識で留まるのかもしれない。

 先日もある街クラブの保護者会の取材に行った際、保護者からは「言うことを聞かないのであれば蹴飛ばしてほしい」といった真顔の要求が出ていた。「厳しい指導のためには時に暴力や体罰も必要」という認識が保護者の中に残る限り、いくら現場レベルで「暴力根絶」を訴えたところで焼け石に水になることは目に見えている。

 このように指導法は当然として、場合によっては一部存在する家庭内での教育やしつけをサッカークラブや指導者に委ねようとする保護者の意識や姿勢にも目を向ける必要があるのではないだろうか。

 だからこそ、単純な線引きや(暴力の)一掃ができない非常に難しい問題であり、そこを認識することからすべてが始まる。「体罰は不要」「暴力はダメ」と綺麗事を並べるだけでは何の解決も見ないし、場当たり的な我々メディアというのは往々にしてそうした目先の解決策、言葉に走りがちだ。

 しかし、私がこの旅を通じて行いたい目的は、リアルな現場の声や状況を拾いながら、物事をプラスの方向に持っていくことであり、何かを変えることはできなくても改善の道筋やきっかけを作る点にある。

 改めて私の持論を述べさせてもらうが、指導現場に体罰や暴力は必要ないどころか「あり得ない」。手を上げるような高圧的指導は、“ファスト指導”で、簡単かつ容易く目先の結果は出るかもしれない。しかし、指導者に怒られないよう、顔色を伺いながら、罰を恐れながら萎縮してプレーする選手に将来性や伸びしろはない。

 裏を返せば、そうしたファスト指導によって過去の日本サッカー界ではどれほど多くの選手たちを潰してきたのか。日本ではよく暴力指導や何十キロという罰走を経験した選手が「あの厳しい指導が精神力を鍛えてくれた」と思い出、美談として振り返ることがある。

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