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【佐山一郎×後藤勝 “サッカー狂”特別対談】フットボール・ライティングの地平線 第1回「毒にも薬にもならないテクストばかりになってしまった現在」

text by 後藤勝 photo by editorial staff

新聞を読まない書き手

佐山 速読でもいいし好き嫌いありの偏食でもいいんですが、触れていく中で文体も確かになるし、書くための持久力も付いていきます。でも最近はそんな尺のある本も見かけない。『サッカー本大賞』関連の座談会で出てきた話ですが、最近は本の値段がだいたい1500円前後に決まってしまっている。

 清水市のサッカー功労者・堀田哲爾さんについての本『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』(梅田明宏著/現代書館)だけは二段組(の本文レイアウト)で、4000円を超えていたけど、ほかは軒並み1500円以下だった。もっと枠組から自由であってもいいのに、なんだか短距離走者がやたらと増えた感じがする。それも100メートルまで行かない50メートルとか25メートルというふうな。一般大衆が政治家のワン・フレーズに踊らされるのも無理はないなぁという印象です。

後藤 いま、書き手に対して読み手がそれほど甘くないのではないかという気もします。お金を出す出さないも含めてなんですけれども、無料でも読まない、という現象もあって。読むことについての習慣自体が変わってきてます。

佐山 悪循環が止まらないのは、新聞を読まなくなったことと関係しているかもしれない。新聞ならではの“一覧性”という優れたユーザーインターフェイスをおもしろがって、視線をあちこちに動かしながら読む、めくるという行為が廃れている。ちょっとキツいことを言うと、僕のなかでは新聞を読まない人、特に書き手は気持ちの上で切り捨ててしまっている感じですね。育った家庭環境の問題もあるけれど……。

後藤 ぼくの場合は父が『東京新聞』の記者だったので、毎朝、一般紙、英字紙、スポーツ紙が届く環境でしたね。

佐山 そういうのを恵まれた環境というんですよ。複数の紙面を比較して差異を愉しむことにも子どもの頃から目覚めていたんじゃない? 僕の実家は自由ヶ丘の菓子製造業だったので、『日本経済新聞』以外の業界紙も届くわけです。一応読んでみては子ども心にも「おもしろくねーな」と思ったり(笑)。そういう原体験が子どもの頃にないと、あとが厳しい。

 全く新聞を読んでいなかったひとが、結婚を機に配偶者に勧められて、あらためて新聞を読んでみたらおもしろかった……なんてことにはまずならないと思う(笑)。ただ実際につまらない新聞がほとんどであることも確か。僕の愛読紙は少し安いということもあって『東京新聞』ですよ、お父さんによろしくお伝え下さい(笑)。

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