昨今、確かな能力を持った若手が早々に海外クラブへと挑戦するケースは少なくない。若い頃から欧州で実績を積めば、早期のステップアップも容易になるだろう。しかし、海外移籍には大きなリスクも付きまとう。今回は早期の海外移籍に失敗し、その後のキャリアにも影響してしまった選手をピックアップして紹介する。
FW:宇佐美貴史(うさみ・たかし)

【写真:Getty Images】
生年月日:1992年5月6日
移籍先:ガンバ大阪→バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)
移籍日:2011年7月15日(当時19歳)
バイエルン・ミュンヘン通算成績:5試合1ゴール0アシスト
19歳でバイエルン・ミュンヘンの一員となった宇佐美貴史という衝撃は、当時の日本サッカー界を大きく熱狂させた。
ガンバ大阪の下部組織時代から「天才」として大きく期待されていた宇佐美は、高校2年次にトップチームへと昇格。プロ1年目こそ出場機会を与えられなかったものの、2年目の2010シーズンはリーグ戦26試合7ゴールの堂々たる活躍で、Jリーグベストヤングプレーヤー賞に選出された。
そんな期待の逸材に目をつけたのが、ドイツの名門だった。
宇佐美は2011年夏に期限付き移籍でバイエルンに加入。DFBポカールでは得点を決め、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)にも出場している。UCL決勝のベンチメンバーに入ったことは、大きな話題となった。
しかし、世界トップレベルのタレントが揃うクラブの中で、宇佐美は存在感を示すことが出来ず、1年でホッフェンハイムへと移籍している。
同クラブでは、バイエルン時代に比べると出場機会は大幅に向上したものの、シーズン終盤はベンチを温める日々が続き、2013年夏にJ2降格の憂き目にあっていた古巣へと帰還することとなった。
それでも、宇佐美の能力はJリーグでは別格だった。リーグ後半戦だけで19ゴールを挙げチームのJ1昇格に貢献すると、翌シーズンは同10ゴール10アシストを記録し、G大阪の国内三冠の原動力となっている。
その後、同選手は2度目の海外挑戦を果たす。しかし、2016年夏からブンデスリーガで3シーズン戦ったものの、またも結果を残すことができず、2019年夏に再度古巣へと復帰している。
33歳となった現在もG大阪の中心選手として活躍する彼が、2度もドイツで活躍できなかった事実は、海外移籍の難しさを物語っている。
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