フットボールチャンネル

セリエA 22時間前

一体なぜ? イタリア代表では輝けなかったレジェンド10人【Part2】定着できなかった懐かしの名手たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

イタリア代表
一体なぜ? イタリア代表では輝けなかったレジェンドたち【写真:Getty Images】



 数々のタイトルを獲得してきたイタリア代表には、常に世界最高峰の才能が集ってきた。その一方で、クラブレベルでは伝説的な実績を残しながらも、輝く機会に恵まれなかった名手たちも存在する。なぜ彼らは代表に定着できなかったのか。今回は10人の選手をピックアップして紹介する。[3/5ページ]
——————————

MF:ドメニコ・モルフェオ

ドメニコ・モルフェオ
アタランタなどで活躍したドメニコ・モルフェオ【写真:Getty Images】



生年月日:1976年1月16日
主な所属クラブ:パルマ、アタランタ
イタリア代表通算成績:なし

 ドメニコ・モルフェオが生まれた1976年は、多くの“怪物”が世に現れた年である。フランチェスコ・トッティやアレッサンドロ・ネスタと枚挙に暇がない。

 モルフェオも将来を嘱望された一人だったが、その才能が遺憾なく発揮されたとは言い難い。天才肌の選手にしばしば見られる“気まぐれ”が、本来備えていた才能にわずかな影を落としたのかもしれない。

 インテルでは「10番」を与えられながらも、わずか1年で放出されたことがすべてを物語る。だがそれでも、多くの点取り屋に愛されたトレクアルティスタでもあった。



 アブルッツォ州サン・ベネデット・デイ・マルシ出身のドメニコは、ロベルト・バッジョに憧れ、地元では小さなジーコを意味する「ズィキット」という愛称を持っていた。

 キャリアをスタートさせたアタランタでは、17歳で迎えたジェノア戦でセリエAデビューを実現。この時の監督が、後にパルマで再会するチェーザレ・プランデッリであり、モルフェオが、「最も感謝している監督であり、第二の父のような存在だった」と2025年11月の『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューで述べている。

 セリエA1年目の成績は9試合出場、3得点。チームは降格となるが、10代の新人選手にとっては申し分のない成績だ。

 96/97シーズンは、フィリッポ・インザーギに多くのパスを供給し、ピッポにとっての最初で最後のセリエA得点王獲得を“アシスト”した。

 その後は、彷徨うように移籍を繰り返すが、天賦の才を活かすことができず。それは、インテルでも同じだった。

 本人は「個人的にはチャンピオンズリーグでゴールも決めたし、自分の役割は果たせたと思う。でも確かに、自分は10番を与えられ、もっとできたはずだ」と後悔の念を述べている。

 しかし、恩師プランデッリが指揮を執っていたパルマに移籍をすると、それまで持て余していた才能が再び開花。アドリアーノやアルベルト・ジラルディーノに決定的なパスを数多く送り、04/05シーズンは、自己最多の8得点12アシストを決めている。

 U-16時代からそのカテゴリーの代表招集を受けてきたモルフェオは、U-21欧州選手権で優勝に導く。それまで出場がなかったが、スペインとの決勝で出番を得ると、PK戦で最終キッカーを任され、栄冠の美酒を味わった。

 だが、A代表では、1996年2月、アッリーゴ・サッキ監督によってトレーニングステージに招集されただけで、出場の機会を得ることはできなかった。

 本人曰く「代表のレギュラーになれる資質はあったが、頭がなかった。当時は競争が激しかった。でも一度もデビューできなかったのは残念だ。今プレーするなら違う選択をするだろう。でも自分のアイデンティティや生き方は失わない。自分の才能を最大限に生かせなかったことは分かっている」と語っている。

1 2 3 4 5

KANZENからのお知らせ

scroll top
error: Content is protected !!