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コラム 15時間前

日本では監督との間に壁がある。でも、外国人監督はフラットだった。日本は全員を守ろうとして自分が死ぬ【ポープ・ウィリアム手記】

シリーズ:ポープ・ウィリアム手記 text by ポープ・ウィリアム photo by Getty Images
湘南ベルマーレ時代のポープ・ウィリアム
【写真:Getty Images】



 Jリーグで13シーズンプレーしたポープ・ウィリアムは、今年2月にベルギーのK.ベールスホットV.A.へ期限付き移籍した。31歳にして初めて日本を離れた現役サッカー選手にとって、ベルギーでの日々は気づきの連続でもある。異国の地で過ごす日々の中で感じたことを、キーパーグローブを外し、言葉にしていく。(文:ポープ・ウィリアム)[1/2ページ]
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日本のGKの基礎技術は高い。明確に違うのは…

ベールスホットを率いるモハメド・メソウディ監督
ベールスホットを率いるモハメド・メソウディ監督【写真:Getty Images】

 自分が海外でプレーすることを想像していたかと聞かれたら、そんなことは特に考えてなかった。というのが正直なところです。

 それはやはり外国人GKのクオリティの高さを理解していたこともあったし、目の前の1日を生きることに必死だったこともある。けどそんなことを考える余裕が無かった。というのが1番かもしれない。

 実際に来てみてどうかと言われたら全然そんなことは無かった。基礎技術はやはり日本のGKの方がしっかりしている。スキルという面で劣るところはあまり見当たらない。


 明確に違うのがゴールを守る能力。こちらは守り方の幅が広いというイメージ。シチュエーションに応じて数ある選択肢の中から直感的に守るし、迷いが無い。野生的な感覚が養われている感じがする。

 一見すると博打に見えるような止め方だけど彼らには躊躇が無い。全てのシチュエーションを想定しているというよりかは、ある程度、的を絞って想定して、全力で当てにいく。ミスを恐れるという概念は存在しない。結果的にミスが起きることもあるけど大前提としてミスを恐れることはない。

 それはポジションに関係なく感じること。だから展開は常にダイナミックだし、前への選択が非常に多い。練習中もノーチャンスやバッドラックという言葉が頻繁に使われる。彼らから失敗に対する恐怖という概念を感じない。そんな姿を見て少し羨ましく思う自分がいる。

日本では監督との間に壁があった

横浜F・マリノスを率いたスティーブ・ホーランド元監督
横浜F・マリノスを率いたスティーブ・ホーランド元監督【写真:Getty Images】

 彼らからは目の前の結果よりも大切にされてきた未来を感じる。1人1人から自分らしさ、主体性を感じる。親や指導者、または周りの大人たちから自分らしさを掻き消されることなく人生を歩んできた。そして大人の余裕が漂う。常にコーチとはフラットな関係があり、上下関係なんてものは存在しない。あるのはあくまで役割の違いであって、この環境ではパワハラなんて起きそうにない。

 朝はシェイクハンドから始まりハグだってする。日本で一緒に仕事をしたランコ・ポポヴィッチ、ハリー・キューウェル、ジョン・ハッチンソン、スティーブ・ホーランド、パトリック・キスノーボ。彼らも今思うと本当にフラットだった。


 僕が日本にいた時、一緒に仕事をする監督という立場と僕の間には壁があった。それはもちろん僕自身の問題もあったが、日本の育成年代で育った僕は必然的にそうなった。そんな距離感で接することができたことはなかったから。凄くもったいなかった。彼らがあれだけ扉を開けてくれていたのに飛び込めなかった。もっと来てくれていいのに。日本に来た彼らはきっとそう感じていたんじゃないかな。

 自分らしくいることが最優先の彼らは人に干渉をしない。だから人は人、自分は自分。自分に迷惑がかからない限り人が何をしてようが基本的に関係ないし興味がない。言いたいことがあれば言うし、察するなんてものは基本的に通用しない。こちらは人に干渉しないことで人を間接的に許していることに繋がっているんではないかと思う。

日本はどうだろうか?

湘南ベルマーレ時代のポープ・ウィリアム
湘南ベルマーレ時代のポープ・ウィリアム【写真:Getty Images】

 日本はどうだろうか。常に人からどう見られているかを意識しなければ社会や学校の中で生きていくことは難しいと思う。少なくとも僕はそうだった。その環境で果たして自分らしさを体現しやすいか、主体性を持ちやすいかと言われたらどうだろうか。

 これはサッカー選手だけの話ではない。日本社会全体、全てに通じる話だと思う。

 日本が素晴らしい国であることは間違いない。ご飯も美味しい、安全で清潔。インフラも整っている。勤勉で従順。


 僕にはこちらにきてから1つの疑問がある。日本はリスペクトに溢れた国だと。それは果たしてどうだろうか。

 リスペクトとはその人を尊重すること。だけど僕らがしていたのはただの配慮なんじゃないかと。自分らしく生きる人を尊重することが本当のリスペクトではないかと思う。

 だとしたらリスペクトには溢れてないんじゃないか。年齢や立場でリスペクトを得られると勘違いしていないか。リスペクトというのはその人の在り方に対して、他者が尊敬できて初めて自然と発生するモノだと僕は思う。

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