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独占インタビュー 西野朗『超攻撃の美学、勝負師の哲学』(後編)【サッカー批評issue 56】

text by 永田淳 photo by Kenzaburo Matsuoka

明確なスタイルを打ち出すために必要なこと

――G大阪のように明確なスタイルを打ち出すために必要なのはどういったことでしょうか?

「70分勝っていて残り20分リスクを冒さずに逃げ切る、そこで最悪1点失って2-1とか3-1ということを考えたチームだったら、『ガンバらしさ』なんていうスタイルは確立できなかったと思う。『超攻撃』という形容詞までもらったわけだけど、そうやってスタイルを認められるまでになるためには、本当に強く打ち出さなきゃいけない。

 宮本(恒靖)や山口(智)たちには『勝っているんだからリスクを冒さずにそのままでいいんじゃないですか』という言い方をされたり、『DFや中盤の選手を入れたり、システムをディフェンシブにしてもいいんじゃないですか』と言われた時もあった。でもいつもそこでFWの選手を投入して3トップにしたりしていた。良い状況の時にさらに攻撃的なメッセージを送っていく。メッセージを送り続けて最終的に3-2とか4-3になってしまったというのはある。6-3なんてスコアもあったね(笑)。

 でもそれは90分間メッセージを送って、追い付かれたとしても、スタイル確立のためにはそういうゲームを続けることというのは大事なことだと思う。20分でリードして、残り70分リスクを冒さず、逃げのつまらないゲームで流して、守り切って勝つということをやったとしても、『ガンバらしい攻撃サッカー』なんてイメージは作れない。『攻撃的なサッカーをやろう』と打ち出している以上、そうやっていかないと。

『ディフェンスの修正がまったくできない』とはよく言われたけど、まったく修正していないわけではなかった。ただ流れの中でそれだけ攻撃的にやろうとしていたということ。それと、選手には言えなかったけど、うちは基本的にディフェンス力があまりなかった。スタイルを貫いたのは守り切れないと思ったのもある(笑)」

――やればやるほど新たな積み上げがある監督業だと思いますが、今後についてはどうお考えなのでしょうか。

「柏を解任になった時の心境と今では少し違うかもね。今も『すぐに』っていう考えがないわけではないんだけど、長い間1つのクラブでやっていた後の脱力感がどこかにあるのかもしれないし、次に向かうための燃えるものっていうのがあるようでないのかもしれない。まだ燻って残っているとは思うんだけど、はっきりと燃え上がっている火ではないのかな。そこに紙が乗っかれば一気に燃え出すかもしれないけど(笑)。まあ、火の気がまったくないということはないね」

――このインタビュー掲載号が発売される頃、どこかで監督復帰している可能性はありますか?

「発売いつなの? 5月10日? それはすぐだな(笑)。シーズン途中の今から引き受けるとなると、良い状況でのスタートにはならないわけだから、俺の嫌いな根性論が必要になってくる。それだけ自分に根性があるかどうかによるのかな(笑)」

【了】(※このインタビューは、2012年4月下旬に行われました)

初出:サッカー批評issue56

プロフィール

西野朗
1955年生まれ、埼玉県出身。早稲田大学在学中から日本代表へ選出され、攻撃的MFとして活躍。1978年に日立製作所に入社、現役引退まで同チームに所属。85年に日本サッカーリーグ最多タイの8試合連続得点を記録。90年に現役を引退し、指導者へ転向。94年アトランタ五輪の日本代表監督に就任。28年ぶりとなる本大会へ出場するが、グループリーグで敗退。その後98年に柏レイソル監督に就任。翌年にはチームをナビスコカップ優勝へと導く。02年からガンバ大阪を指揮し、05年にリーグ優勝、ナビスコカップ、天皇杯、そしてACLなどのタイトルを獲得。昨年、10年間監督を務めた同クラブを退任。

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