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ファビオ・カペッロ「英国のフットボールはもはや、発祥地のそれにあらず」(前編)

text by クリスティアーノ・ルイウ photo by Kazuhito Yamada

失点の恐怖が選手たちの意識の大半を占めていた

 要するに、たとえば06年のマルチェッロ(・リッピ)率いるイタリア代表がそうであったように、機をみては“意図的に相手に主導権を渡す”という類いの守備のメンタリティーと、その強したたかさ、敵に攻めさせる勇気、ある種の狡猾さ、また、それを可能にするノウハウがあれば、今大会のイングランドは間違いなく別の結果を残せていたに違いない。

 だが現実には、失点の恐怖が選手たちの意識の大半を占めていた。さらに言えば、守るためだけに守り、PK戦に持ち込むことのみに専念し、守備とは攻めるためにあるものだが、サッカーの母国がその本質を見失っていた、となる。ならば敗れて当然。対イタリアの敗戦は当然の報いとも言えるだろう。

 もちろん、ここで私はホジソンを批判するつもりなどは毛頭ない。むしろ、あれだけの短い時間でチームを欧州8強にまで導いた事実は功績に他ならず、心から拍手を送りたいと思う。しかし、その一方で思うのは、おそらく今であれば、(イングランド代表監督当時の)私を“守備的に過ぎる”として猛烈に批判していた識者やメディアも、なぜカペッロがあれほどまでに守備組織の整備に力を注いでいたのか、その真意を理解できるだろう。私は、あくまでも攻撃のための守備という普遍の哲学のもとで監督という仕事に携わってきた一人だ。もちろん、それはこれから先も変わることはない」

――あのユーロ準々決勝。イタリアの出来が確かに良かったのは事実でしょうが、しかしその要因は他ならぬイングランドの出来の悪さにあったとの見方が、イタリアでは有力です。果たして、あれが現イングランド代表の限界なのか、また、いまなお現代表はプレミアを映す鏡なのでしょうか?

「鏡か否かについての答えは、明らかに『ノー』だ。確かにユーロでのイングランドは本来の力を発揮できずに終ったが、なにもひとつの大会だけでその代表の評価が決まるわけではあるまい。その上で言えるのは、プレミアは代表とは完全に異質なものであるということ。

 TV放映権の価値は他国のリーグの比ではなく、マーチャンダイジングも外国資本の額も他国の比ではない。その規模はアメリカのNBAにも匹敵するのではないか。したがって、この総合力こそがプレミアの強さと言えるはずであり、そのリーグの5強、または6強は単に国内だけでなく、欧州全体でもトップ10に入る力を十二分に備えている。

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