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あの選手は今どこで何を?~ポルトガルの闘将 フェルナンド・コウト~(前編)

text by 鰐部哲也 photo by Tetsuya Wanibe

コンディションを崩した日韓W杯直前のマカオ合宿

──あなたが出場した唯一のW杯である2002年の日韓W杯では、ポルトガルはチームが崩壊してしまった印象があります。チーム内で何が起こっていたのでしょう?

「そう。あれは惨事だったね(苦笑)。あのときは直前合宿にマカオを選んでしまったことが最大の失敗だった。選手はシーズン直後で疲れが残ったままマカオに入って、高温多湿という劣悪な環境の中でのトレーニングを余儀なくされてさらに疲労がたまっていったんだ。正直、マカオでの練習では何も準備できなかったと言ってもいいよ。

 本大会に必要な戦術の確認も満足に行えなかったし、予定していたプログラムを消化することもできなかった。政治的な圧力に屈した(※注2)FPF(ポルトガルサッカー連盟)と代表監督(アントニオ・オリヴェイラ)の選択ミスだよ。僕は韓国で試合をやるんだから、お隣の日本の涼しい場所で合宿を張るべきだと思っていたんだ。とにかくあの合宿で、フィジカルも含めた選手のコンディションが悪化して、まともな試合を戦える状態になかったということだね」
(※注2:当時、ポルトガルの旧植民地であるマカオからは、合宿地として政府間レベルで強い招致があった。)

──(グループリーグ突破をかけた)韓国戦での審判(アンヘル・サンチェス)のレフェリング(ポルトガルの選手が2人退場処分)には不満を持っていましたか?

「いや。サッカーでは不公平なジャッジというのは起こりうるもの。それに相手が韓国で、完全アウェイの中で試合をしていたわけだからね。審判のせいにはしていないよ。僕らがコンディション調整に失敗したから負けたんだ」

──逆に所属クラブでは数々のタイトル(17個)を獲得しました。クラブで自分がタイトルを数多く獲得できた要因は何だと思いますか?

「そう。CL(チャンピオンズリーグ)以外はすべて獲ったんだよね。僕が移籍(在籍)したタイミングでそれぞれのクラブが最高の状態、つまりタイトルを狙える状態にあったということだろうね。特にラツィオではチームのピークと自分の選手としてのピークが上手く重なってたくさんのタイトルを獲得できた。こちらに関しては運に恵まれたと思う」

【後編に続く】

初出:欧州サッカー批評4

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