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松田直樹という生き方 ~第2回 ナイジェリア恐るるに足らず~

text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

中田の海外進出に最初はむかつきました(笑)

――ある時期から、メディアにぜんぜんしゃべらなくなりましたよね。あれは傍から見ていてどうでした?

松田 自分も経験したんですけど、たとえば(記者が)来て、最初は有名になりたいから嬉しくて話すけれど、また同じことをしゃべらなければならないとか。「それがプロだから」と言われれば仕方がないけれど、そういうのに疲れてくるのもあるし。あと、自分が言ったこともないことを書かれたりしたらね。自分の中では、あいつほどそういうのは受けていないですけど、そこから口を閉ざしたのも分かりますね。

――松田さんも、若いころと比べてメディアとの接し方が随分変わったと聞いていますが。

松田 ぜんぜん意識していない。そのまんまの人間なので、嫌なものは嫌だというから。

――あらためて思うんですが、松田さんと中田さんって本当に正反対ですよね。性格もそうですが、キャリアについても。松田さんはずっとマリノス一筋で、プロフェッショナルとして精進してきた。それに対して中田さんは、一貫して外へ、そして上を目指していました。非常に明快なコントラストに感じられますが、彼のサッカー選手としての生き方をどうご覧になっていましたか?

松田 大好きですよ。自分ではやれないですけど、尊敬しているし、大好きですね。

――銀の鈴での待ち合わせでは、いつも一番乗りだった中田さんは、その後も松田さんより先にA代表に入り、ワールドカップに出場し、そしてイタリアに行ってしまったわけですが、どんな想いで彼の背中をご覧になっていましたか?

松田 最初はむかつきました(笑)。海外に行って、ペルージャでのデビュー戦でユベントス相手に2点決めたじゃないですか。「こいつならやるな」と思っていて。これはやばいぞ、離されるぞ、というのは思っていましたね。

――トルシエが監督になって、松田さんもA代表に呼ばれるようになり、一緒に試合に出るようになりました。「追いついた」と思いました?

松田 いや、ぜんぜん思わない。ほんと、ぜんっぜん、思わない。そこからはもう、絶対に追いつけないと思いましたね。あいつのすごさは認めていましたし。

――逆に「こういうところでは負けないぞ」というのはあります?

松田 何だろう……馬鹿度(笑)。それから陽気度。チームの雰囲気作りという意味でね。あいつも、もちろんチームのことは考えていたんだけど。

【第3回に続く】

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関連リンク:松本山雅FCの激闘に触れる(ジュニアサッカーを応援しよう)

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