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Jリーグ 11年前

日本ハムファイターズ アドバイザー藤井純一が説く プロスポーツの経営論(前編)

text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

 今回、セレッソとファイターズのトップを務めた藤井を取材対象に選んだ理由はふたつ。まず、そのバックグラウンドがサッカーとも野球とも無縁であり、両者をビジネスの視点でニュートラルに見ていたこと(重松は現役時代に日本代表の経験があり、JFA専務理事も務めている)。そして、北海道移転後のファイターズを、地域に根差した人気球団へと育て上げたことである。

地域密着を促した自転車営業

 大阪市内のオフィスを訪ねると、藤井はざっくばらんな関西弁で、Jリーグとプロ野球、それぞれの最前線での興味深い話を饒舌(じょうぜつ)に語ってくれた。

「僕がセレッソに関わるようになったのは97年です。取締役事業部長として、主に営業面を見ていたんですが、当時は営業先へ行っても『セレッソ、知らんわ。ガンバなら知っとるけど』と言われていましたね(苦笑)」

 セレッソ大阪の運営会社である大阪サッカークラブ株式会社は、ヤンマーディーゼルサッカー部を母体とし、日本ハム、カプコンなどによる共同出資で93年に設立した。(後にカプコンは撤退)藤井は当時、日本ハムの宣伝部長であったが、長年の営業経験を買われてセレッソへの出向となった。日本ハムとしては、東京にファイターズを持っていたが、本社がある大阪にプロスポーツクラブができるので「地元に恩返しがしたい」という想いもあったようである。

 95年、セレッソは晴れてJリーグ加盟を果たすも、営業面では苦戦した。すでに大阪はガンバの牙城が出来上がっていたからだ。藤井の最初のミッションは「とにかくセレッソを知ってもらうこと」。試行錯誤の末に辿り着いたのが、自転車による営業であった。

「まず、セレッソのロゴが入ったステッカーを配ることにしました。ティッシュペーパーだと、すぐに捨てられてしまうけど、ステッカーは捨てられずに家に持って帰ってくれるから。ステッカーの裏には(入場チケットの)割引券もつけて配り出しました。配ったのは、JRと地下鉄の長居駅、JR鶴ヶ丘、近鉄針中野あたり。みんな自転車で回れる距離ですわ」

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