「こうすればこう変化する、という自信があった」
――現役を退かれた後、浜松大学の監督をされていますね。
長谷川 はい、それが現在のベースになっています。すべての面で。はじめて、「サッカーって、こう守るのか」ということもわかりました。
――現役のときは?
長谷川 自分のポジション以外はわからないですよ。今と違って映像もあまり見ないですから、全体像が全然みえていなかった。ミーティングとかで他のポジションのことを言われても聞いてなかったですし。後で、「そういえば“つるべ”って言ってたな」と思い出したぐらいで(笑)。ゾーンプレスって何だっけと。
――それは、代表で加茂監督のときにやってましたよね?
長谷川 やってましたけど、「プレース!」と声がかかったら前の選手が行くだけだったので。意味がわかってなかったですね。加茂さんというよりアリゴ・サッキのプレスについては、後で「こういうことを言っていたんだな」と。
――それがわかったのが浜松大時代。
長谷川 自分で動かしてみて、はじめてわかったことは多いです。S級もとりましたけど、チームを持ってみないとわからないことは多いんじゃないですかね。
――清水の監督に就任されて1年目が15位、しかしそれ以後は4位、4位、5位、7位、6位と高めに安定して、優勝争いをしたシーズンもありました。初年度とそれ以後の違いは何だったのでしょう。
長谷川 最初は形や体裁を気にしていたところがあったと思います。途中から、そんなこと言っている場合ではなくなり、恥も外聞もなく、さらけ出して選手と一緒に戦うようになった。そこは自分自身にとっても大きな分岐点だったですね。
続きは『フットボールサミット第15回 『攻め勝つ』ガンバ大阪の流儀』にて、チーム再建を託された長谷川健太監督のインタビューをお楽しみください。