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痛み止め注射が美談に、燃え尽きへの懸念も。問われる高校サッカー選手権の存在意義

text by 加部究 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography

日本では競技の集大成と考えられがちな高校の3年間

 日本代表が試合をしても閑古鳥が鳴く国立のスタンドが、高校選手権決勝では埋まる。スター高校生たちは、露出面で日本代表選手たちを凌駕し、選手権を終えると即座に日本代表合宿に招集され、メディアを賑わせる選手も現れた。

 この頃からプロの時代が到来するまでの約15年間は、サッカー界で高校選手権だけが突出して注目度の高いイベントであり続けた。年間を通しても、スポーツ新聞の一面を飾る可能性のある国内イベントは、高校選手権以外に見当たらなかった。

 東京都立久留米総合高校の齋藤登監督の言葉を借りれば、選手権が「単純にサッカーというスポーツを、文化として近づける役割を担った。また高校生が大きな目標を目指して打ち込み、自分自身を高めるためにも役立った」ことは確かだ。

 高校選手権が、これほど注目を集めなければ、この時代の少年たちは夢を描くことができずに、サッカー人口が激減してしまった可能性も否定できない。しかし反面、学校単位での活動が定着している日本のスポーツ界では、サッカーに限らず、どうしても高校3年間を競技生活の集大成と考える傾向が強い。大学や実業団に進んでも競技を続ける選手は、一気に減少するからだ。

 それでも個人競技なら、それぞれの能力に即してトレーニングが積むことができる。しかし団体競技では、高校在籍時の競技力、体力が個々で著しく異なるのに、同じゴールへ向かって同様の負荷がかけられる。

 まして目標の舞台に派手なスポットライトが浴びせられれば、必然的に宣伝効果も高まるので、現場のスタッフには有形無形のプレッシャーが圧しかかった。しかも多くの選手たちは、3年間連帯責任を意識して育てられているのだ。そういう状況で故障を抱えた選手たちが、冷静に将来を見つめてブレーキをかけるのは難しい。

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