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痛み止め注射が美談に、燃え尽きへの懸念も。問われる高校サッカー選手権の存在意義

text by 加部究 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography

「燃え尽きろ、青春! 冗談ではない。(選手として輝くのは)これから」

 かつてはワールドカップなどトップレベルの大会になれば、無理をしてでも出場してくる選手がいた。しかし最近は、どんなビッグトーナメントでも完調でない選手はプレーをさせないという傾向が強まっている。プレーをさせるかどうか、それは監督ではなく、メディカルスタッフが判断する領域だからだ。

 ドイツの最高級ライセンスを持ち、現地の事情に詳しい鈴木良平が語る。

「バイエルンのウィンター・キャンプでフランク・リベリーが爪を剥がしたことがある。すぐにメディカルスタッフは、トレーニングから離脱をさせました。しかもシーズンが再開しても、完治するまではメンバーに入れなかった。

 些細な傷でも、完全に治し切って万全の状態で復帰させないと、次の故障を誘発するリスクもある。そういう判断です。ましてユース年代で故障を持つ選手を出場させることなど、絶対にあり得ないし、またあってはいけないことです」

 ところが依然として高校選手権の中継では、痛み止めの注射を打ったり、大きな故障を短期間で克服したりして、強行出場した話が美談になる。

 日本協会の長沼健元会長(故人)は、こうした高校年代での結果至上主義に、早くから危機感を募らせていた。

「燃え尽きろ、青春! というキャッチフレーズを目にしたんです。冗談ではない。(選手として輝くのは)これからじゃないか」

 日本サッカーがどん底の時代にも、選手権という大きな目標を持つ高校生たちが3年間必死に取り組んだ結果、刹那的にユース年代のレベルが上昇したように映った。実際1980年代の強豪校は、日本リーグのチームと練習試合をしても引けを取らなかった。しかし高校を卒業してしまうと、どうしても優れた素材の成長曲線の角度は鈍りがちだった。

【了】

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加部究・著
■高校サッカーの不都合な真実 ■指導者たちが抱えるジレンマ
■理不尽な指導がなくならない理由 ■「楽しむ」を悪にしない指導者たち
■未来 「育成」のあるべき理想像とは?

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