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なぜ、中国はサッカーに巨額を投じ始めたのか? 国家主席ただ1人の“趣味”が発端に【億万長者クラブの真実(1)】

text by ジェームズ・モンタギュー photo by Getty Images

中国サッカーの改革と発展のための計画

 新たな国家主席が、サッカーにおいても改革の情熱を燃やすようになったのは、およそ意外な人物に端を発している。イングランドのクラブチーム、ワトフォードFCやイングランド代表を率いた、グラハム・テイラーである。

 1983年夏、ワトフォードは中国にツアーを行い、3試合を行っている。

 最後の試合は、スタジアムに7万人のサッカーファンを集めて行われている。その大観衆の一人が、若き日の習近平だった。

 ホーネッツの愛称で知られるワトフォードは、先の2試合で完勝を収めていたが、特に最終戦では中国代表に5-1で大勝する。

「ホーネッツは、フィールドの内外で中国に大きなインパクトを与えた。中国サッカーファンの心に、攻撃的なサッカーの魅力をしっかりと刻み込んだ」

 当時の『ワトフォード・オブザーバー』紙は記している。

「先週水曜日、ワトフォードは威容を誇る北京のスタジアムで行われた初戦において、3-1で勝利を収めている。そして再び同じスタジアムで、7万人の熱狂的な観客と、テレビ中継を見ていた数百万の視聴者を魅了した」

ワトフォードは、「中国人サッカーファンの心の中に、自分たちの攻撃的なサッカーの魅力をしっかりと刻み込んだ」かもしれない。

 だが習近平にとっては、違う種類の感情を抱く大きなきっかけとなった。

 1983年当時、彼は河北省にある石家荘市において共産党の副議長に任命されたばかりだったが、あまりにふがいない中国代表の姿に激怒していたのである。

「習は試合に失望し、腹を立てながら帰った」

 試合に同行した友人は、中国の国営メディアでのインタビューで証言している。

 サッカーファンである習は、この屈辱を決して忘れなかった。

 事実、2012年の秋に中国の新たなリーダーとして登場した際には、過去の屈辱を拭う作業に着手している。やがてこの計画は、「中国足球改革発展総体規劃(中国サッカーの改革と発展のための計画)」として結実する。中国のサッカーを再び活性化させるべく、様々な改革案を列記した。

 グランドデザインで、50項目から成る壮大なものだった。

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