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コラム 1か月前

ついにセリエA昇格。“冬の時代”を乗り越えたピサの物語。アメリカ人オーナーと共に歩むクラブ再興と未来への挑戦【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

フィオレンティーナとの熾烈なライバル関係

 申し分のないスタートだった。8月17日開催、初戦のスペツィア戦こそ、2-2と引き分け、本拠地での初戦は白星を逃したが、第13節まで9勝3分け1敗とし(第3節チッタデッラ戦は、1-1だったが、相手がメンバー表に記載されていなかったヤコポ・デソグスを出場させたことで、3-0でピサの勝利に)、首位を走った。

 第18節にはモデナに0-1で敗れて3位に転落したが、第19節以降は自動昇格圏内の2位をキープ。第28節からの2試合で、首位サッスオーロとの頂上決戦に0-1と惜敗し、3位スペツィアとの直接対決では、2-3と競り負けたものの、連敗はこの1回に留め、2位でシーズンをフィニッシュ。悲願の自動昇格をつかみ取った。総得点は64、総失点は36でいずれも2位。攻守にバランスの取れたサッカーを展開した。

 トスカーナ州の港湾都市ピサは、中世において海洋国家の一つとして栄えた。この街の名前を耳にすれば、誰もが、「ピサの斜塔」を思い浮かべるはずだ。州都フィレンツェからは、電車で1時間もかからずに到着できるが、双方のライバル関係は古くから根深く続き、激しさを伴う。

 ピサは、フィレンツェよりも長い歴史を持つ高貴な都市であり、エトルリア時代からすでに豊かで名を馳せた港町だった。政治的には、ピサが皇帝派に、フィレンツェが教皇派に属し、そして、サッカーにおいても、両クラブは熾烈なライバル関係にある。それだけに、来季のトスカーナ・ダービーは見逃せない。

 1926年に創設されたフィオレンティーナに対し、ピサは1909年に誕生した。しかし、イタリアにおいて、重要なクラブの一つに成長した前者に対し、後者のピサは、1968年に初めてセリエAに昇格するまで、2部や3部を主戦場とする凡庸なクラブの一つであった。

 初のトップリーグは1年で終焉。次にセリエAの舞台に立つまでに11年を費やした。転機が訪れたのは、トリエステ生まれの企業家、ロメオ・アンコネターニが新会長に就任した1978年だ。その年に在籍していたセリエCから、4年でセリエAまで登りつめた。それから、1994年の退位までに、セリエA昇格を4度も経験している。トップリーグ定着こそならなかったが、リーグ最盛期に、カルチョにおけるピサの知名度を高めた。

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