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コラム 6か月前

“収益の魔術師”。ミラン復活を託されたイグリ・ターレとは何者なのか。「ムチを使うときは容赦ない」男の正体【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

「正気じゃない」SDになるまでの歩み

 1973年7月25日にアルバニアの南部の港町ヴロラに生を受け、同国1部リーグのカテゴリア・スペリオレで、3番目に優勝回数の多い名門FKパルティザニ・ティラナでプロデビューを果たす。20歳の時だった。

 翌年にはドイツ・ブンデスリーガ2部のヴァルトホーフ・マンハイムに移籍。それから、ルートヴィヒスハーフェン、カールスルーエ、フォルトゥナ・デュッセルドルフ、カイザースラウテルンを経て、2001年1月にイタリアに活躍の場を移す。セリエA昇格年のブレシアで、イタリアの至宝、ロベルト・バッジョとコンビを組むこととなった。

 のちにボローニャに移籍し、ラツィオでプレーしていた2008年に契約満了を迎えた。その頃、35歳になろうとしていたが、契約を延長し、現役を続行するはずだった。

 ところが、ラツィオの会長、クラウディオ・ロティートから、思わぬオファーが届く。テクニカル部門のコーディネーターという幹部職への転身だ。ターレはこの時をこう回想している。

「ロティート会長からこの挑戦を受けてみないかと言われた時、心の中でこう思った。『この人、正気じゃない』ってね」

 現役引退したばかりの選手を幹部として迎え入れることは、極めて稀だ。ターレは熟考の末に、この“常軌を逸した提案”を受け入れ、第2のサッカー人生を歩むこととなる。翌年には、イタリアサッカー連盟(FIGC)トレーニングセンターのあるコヴェルチャーノでSDの資格を最高点で修得した。

「この職務に就いた頃、いつもロティート会長と一緒に動いていた。年を重ねるごとに、私の資質を理解されるようになり、選手の選定や移籍交渉において、徐々に口を出されなくなっていった」と続けている。

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