ラニエリ就任が白紙になったわけ
スパレッティ解任前、グラヴィーナ会長は選手たちにヒアリングを行っていた。そして、チームの緊張があまりにも張り詰め、スパレッティと選手たちの乖離があると確信。監督交代がチームには必要だと悟ったようだ。
こうして、ステファノ・ピオリとクラウディオ・ラニエリが後任候補に浮上し、グラヴィーナは、後者にオファーを送った。ラニエリはこのオファーを受け入れ、新生イタリア代表が誕生する…はずだった。
しかし、急転直下、ラニエリは「私にはできない」とグラヴィーナに辞退のメールを送り、監督人事は白紙に戻った。当初ラニエリは、ローマでアドバイザー契約を締結しているものの、イタリア代表監督と兼務の形で引き受ける意向だった。2024年5月、イタリアメディア『Sky Sport』のインタビューでは、「もし仮にイタリア代表から何か心に響くようなオファーがあれば、引き受けるつもりだ」と激白していたほど、ナショナルチームへの思いは強かった。
ローマのダン・フリードキン・オーナーもこの決断を支持していたが、サポーターやローマ専門メディア『Il Romanista』などが激しく反発。「アンタッチャブルな存在」「手を引け!」と24/25シーズンの“救世主”となったラニエリの“二刀流”に対し、強い拒否反応を示した。
こうして、再考を余儀なくされたラニエリは、FIGCに断りの連絡を入れることに。「イタリア人」である前に、「ローマ人」であることの帰属意識が強い彼らにとっては、先ずはクラブが何よりも優先されなければならない。ラニエリが、断りを入れた翌日、紙面には「我々の勝利」のタイトルが踊った。
イタリアは優秀な監督に恵まれているが、不運なことに、このタイミングでは対応可能な人材が限られていた。