再生したブレッシャと消えたフェラルピサロー
そのサローは、ブレッシャ県南部、ガルダ湖畔に位置する小都市で、ブレッシャ中央駅からは約30キロの距離にある。第二次世界大戦末期の1943年9月、この小さな町には、ファシスト政権の傀儡国家であるイタリア社会共和国のいくつかの省庁が設けられた。別名、サロー共和国とも呼ばれたことから、この町名に聞き覚えのある人もいるだろう。
ユニオン・ブレッシャのプロジェクトに関しては、ブレッシャ・カルチョの主要ウルトラスだった『クルヴァ・ノルド』が賛同の意を示し、多くのサポーターが支持しているが、必ずしも全員が共感しているわけではない。
ブレッシャ・カルチョのウルトラス、『ブレッシャ1911』は、官民が主導となって設立されたユニオン・ブレッシャに反発し、“自分たちのクラブ”を継続させるために独自に動いている。
もう一つのブレッシャのクラブの立ち上げに奔走しているのが、作家で、政治団体『五つ星運動』からブレッシャ市長選に立候補した経歴を持つアレッサンドロ・ルカーだ。新たな市民クラブ『カルチョ・ブレッシャ1911』を作り、エッチェレンツァ(5部リーグ)への登録を目指している。
ただ、道のりは平坦ではない。ブレッシャ市による正式な支援、現在は定員超過となっている枠へのFIGCによる参加承認、そして、7月24日の登録締切という時間との戦いといった高いハードルが存在する。さらには、チェッリーノがクラブを売却し、別の形で登録がなされた場合、カルチョ・ブレッシャ1911は「歴史の継承者」としての正当性を失うことになる。
近年、プロクラブが忽然と姿を消すことは、イタリアでは決して珍しいことではない。しかし、ブレッシャ・カルチョが幾度も存続の危機に直面してきた中で、もしチェッリーノが売却先を見つけ、スムーズな形でクラブを譲渡していれば、今回のような騒動は回避できたはずだ。
大都市ブレッシャではプロクラブの灯は消えなかったものの、人口わずか1万人の小都市サローでは、プロクラブが姿を消すことになった。7月13日、フェラルピサローの親会社フェラルピには、45人のクラブ会員が集まり、総会が開催され、大きな混乱もなく、16年にわたるクラブの歩みに終止符が打たれた。
わずか2シーズン前にセリエBを戦っていたクラブとしては、あまりにも寂しい幕切れだった。
(文:佐藤徳和)
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