ザンパリーニ政権下のドタバタと功績
「パレルモは良い強度を持ったチームで、優れた選手がいる。クラウディオ・ゴメスは私もよく知っている。我々のアカデミーでプレーしていたからね。全体的に見て、今日のパレルモは本当に素晴らしいパフォーマンスを見せた」
さらに「この歓迎は本当に信じられないものだった。両チームともホームで試合をしているかのように感じた試合なんて、見たことがない。CFGの協力により、このコラボレーションが今後も続いていくことを願っている。パレルモがグループに加わったことは、クラブとして良い選択だったと思う。ここにはチームへの情熱と愛情がある。ナポリに行ったときに、南イタリアではそれが普通なのだと感じたよ」と語っている。
シチリア州の州都パレルモを本拠地とする同名のクラブは、1900年の設立だ。トップリーグ出場回数は29回。その多くは、2002年から会長を務めたマウリツィオ・ザンパリーニ政権下での功績だ。2017年に退任するまでに12回、セリエAを戦いの場とした。小売店の経営とその売却で財を成したザンパリーニだが、その手腕と同様に強権的なクラブ運営でも知られる。
15年間の在任中は、常に張り詰めた緊張感が漂っていた。なぜなら、その間に実に34回も監督を交代させるという異常な頻度での人事が繰り返されたからだ。とりわけ、15/16シーズンは“クレイジーな1年”として記憶されている。
ジュゼッペ・イアキーニ監督を皮切りに、1年だけで7人もの指揮官を起用した。そのうち3人は途中で解任された後、再び呼び戻されている。それでも、このシーズンは、最後の5試合を3勝2敗で終えて、16位でフィニッシュ。残留を勝ち取った。
“監督コレクター”として悪名高かったザンパリーニだが、数々のカンピオーネを発掘した慧眼の持ち主でもあった。補強にも自ら深く関与し(あるいは口を挟み)、ハビエル・パストーレ、エディンソン・カバーニ、パウロ・ディバラといった、のちにトッププレーヤーへと成長する選手たちの成功への道を切り開いた。
イタリア人選手も、ルカ・トーニ、ファビオ・グロッソ、アンドレア・バルツァッリ、 ファブリツィオ・ミッコリ、アマウリ(ブラジル生まれ、イタリアに帰化)らが、ロザネーロで大きな功績を残した。
そのザンパリーニは、クラブの株式をイタリア系アメリカ人のポール・バッカリーニに譲渡。こうして、ザンパリーニ時代が終焉し、マウリツィオは2022年にこの世を去った。享年81歳だった。