「ベラルディのオファーが来るか? 毎年オファーは…」
「6月にベラルディのオファーが来るか? 毎年オファーはある。適切なタイミングで話し合い、内容を把握して正しく判断する。それが常識ある行動だ」と述べていた。ミランやユヴェントスからの噂が、この夏もささやかれた。
しかし、結果もいつもと変わらないものだった。ベラルディはサッスオーロでプレーし続けることを決意した。
ミンモの愛称で親しまれるベラルディは、南部カラーブリア州の生まれだ。“才能の宝庫”として知られ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、ヴィンチェンツォ・イアクインタ、ステファノ・フィオーレ、ジュゼッペ・パンカロ、レッジーナ時代の中村俊輔とチームメイトだったフランチェスコ・コッツァらを輩出している。
人口3000人にも満たないロンゴブッコという山間部の小さな村を出身とし、2007年には約40キロの距離にあるロッサーノに移り住み、ACロッサーノに登録することとなった。当時の会長だったアルフォンソ・グエッリエーロが“ミンモ少年”を振り返る。
「彼はロッサーノ近郊のクラブ『A.C.カステッロ』でキャリアの初期を過ごした。これはミルト・クロージァという町にある地域育成型クラブ。ロッサーノから10kmほどの場所だ。
その年、私はミルト出身の監督と協力していたのだが、その監督がまさにA.C.カステッロで指導していて、ベラルディを教えていた。彼が最初に私にこう述べたんだ。『会長、ミルトにすごく上手い子がいました』ってね」
すぐに連絡を取り、その後、我々のクラブでプレーすることになった。そして最初の段階から、同世代の選手たちと比べても明らかに差があり、はるかに優れていることに気づいた。
彼は“ジュヴァニッシミ(12歳から14歳)”のカテゴリーから来たのだが、彼を“アッリエーヴィ・レジョナーリ(14歳から16歳)”に引き上げた。1歳か2歳年上の選手たちと一緒にいても、まるでベテランのように見えた」
そして、ベラルディのキャリアを語る上で欠かせないのが、小説のような有名なエピソードだ。まさに、幸運に恵まれるとはこういうことを言うのだろう。その偶然は、まるで必然であったかのように彼のもとに訪れた。