2026年のFIFAワールドカップ(W杯)開幕まで残り1年を切った。そんなタイミングでの移籍は、やはり相当なリスクもある。今夏にも多くの日本人選手が移籍したが、所属クラブを変えることで、出場機会を失う可能性もある。今回は、かつてW杯1年前に移籍を決断したサッカー日本代表選手をピックアップ。その後のキャリアを振り返る。
MF:松井大輔(まつい・だいすけ)
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生年月日:1981年5月11日
移籍日:2009年7月1日
移籍先:サンテティエンヌ(フランス)→グルノーブル(フランス)
09/10リーグ戦成績:29試合4得点5アシスト
名門と言われるクラブへの加入には、リターンとリスクの両方が混在する。
2008/09シーズン、リーグ・アン優勝10回を誇るサンテティエンヌに3年契約で加入した松井大輔は、思うように出場機会が得られない現実に直面。わずか1年で新たな所属先を探し始めた。
南アフリカ開催のFIFAワールドカップ2010(W杯)を約1年後に控えたなかで松井が選んだのは、1997年創設の新興クラブであるグルノーブルだった。
サンテティエンヌ加入初年度の途中まで、松井は途中交代やベンチ暮らしが続く苦しい日々を過ごした。
2008年11月にローラン・ルセイが監督を解任されてアラン・ペランが新指揮官に就任すると徐々に出場機会を増やしたが、2008/09シーズンはリーグ・アンで22試合1得点2アシストと消化不良の成績に終わった。
W杯メンバーを目指すためには、何よりも出場機会が必要だ。名門・サンテティエンヌでそれが叶わないならばと、松井は先に述べたようにグルノーブルへの完全移籍を決断している。
チームはシーズン序盤から敗戦を重ねて最終的に最下位でリーグ・ドゥへ降格したが、松井はリーグ戦29試合で4得点5アシストをマーク。不振にあえぐチームの希望の星となっていた。
グルノーブルでのプレーぶりが認められ、松井は南アフリカW杯行きの権利を獲得。本大会では決勝トーナメントを含む全4試合にスタメン出場し、岡田ジャパンの攻撃の核として大車輪の活躍を披露した。
もし、サンテティエンヌでのプレーにこだわっていたら、W杯の舞台に松井の姿はなかったかもしれない。今となれば、グルノーブルに加入した2009年7月1日は南アフリカまでの道へと歩き出すための分岐点だったと言えるだろう。
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