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コラム 3か月前

「カピターノにはふさわしくない」フロレンツィはなぜロマニスタから批判されたのか。人々を熱狂させた男が背負った重圧【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

ローマを選ばせた運命の出会い「彼の存在と歓迎の姿勢だけで…」

「2年在籍した後、ローマとラツィオの両方から誘いを受け、選択しなければならなかった。僕が決断したのは、父と一緒にトリゴリア(ローマのトレーニングセンター)に行き、クラブの下部組織の責任者だったブルーノ・コンティと会った時。具体的にどんな会話をしたのかはよく覚えていないが、彼の存在と歓迎の姿勢だけで、ローマを選ぶ決心がついた」

 ローマで402試合に出場したレジェンドの存在が決め手となり、ロマーノ(ローマ出身)で、正真正銘のロマニスタであるフロレンツィが誕生。トッティやデ・ロッシと同じようなキャリアが始まった。

 そして、下部組織入団から約10年の歳月が流れ、再び3人がトリゴリアで顔をあわせることとなる。

「プロとして最初の契約を結んだその瞬間が特別だったのは、自分のキャリアの第一歩となった日と同じように、2人がその場にいたからだ。父と一緒に再びトリゴリアの門をくぐり、またコンティと顔を合わせた。

 まさにあの日と同じ、自分と父、コンティの3人だった。両親は本当に誇らしく、喜んでいた。なぜなら、自分が人生で一番好きなもの、サッカーで、『本当に何かを成し遂げられるかもしれない』と実感した瞬間だったからだ」

 大柄な選手が多い中で、小柄な体格がひときわ目を引き、愛されるキャラクターとして、チームのマスコット的な存在となっていった。多くのゴールが印象的で、“記録”以上に“記憶”に残った選手であった。

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