ローマを選ばせた運命の出会い「彼の存在と歓迎の姿勢だけで…」
「2年在籍した後、ローマとラツィオの両方から誘いを受け、選択しなければならなかった。僕が決断したのは、父と一緒にトリゴリア(ローマのトレーニングセンター)に行き、クラブの下部組織の責任者だったブルーノ・コンティと会った時。具体的にどんな会話をしたのかはよく覚えていないが、彼の存在と歓迎の姿勢だけで、ローマを選ぶ決心がついた」
ローマで402試合に出場したレジェンドの存在が決め手となり、ロマーノ(ローマ出身)で、正真正銘のロマニスタであるフロレンツィが誕生。トッティやデ・ロッシと同じようなキャリアが始まった。
そして、下部組織入団から約10年の歳月が流れ、再び3人がトリゴリアで顔をあわせることとなる。
「プロとして最初の契約を結んだその瞬間が特別だったのは、自分のキャリアの第一歩となった日と同じように、2人がその場にいたからだ。父と一緒に再びトリゴリアの門をくぐり、またコンティと顔を合わせた。
まさにあの日と同じ、自分と父、コンティの3人だった。両親は本当に誇らしく、喜んでいた。なぜなら、自分が人生で一番好きなもの、サッカーで、『本当に何かを成し遂げられるかもしれない』と実感した瞬間だったからだ」
大柄な選手が多い中で、小柄な体格がひときわ目を引き、愛されるキャラクターとして、チームのマスコット的な存在となっていった。多くのゴールが印象的で、“記録”以上に“記憶”に残った選手であった。