歴代最高位から再び暗黒期へ
1983/84シーズンに続き、1988/89シーズン、1990/91シーズンにもセリエAへの挑戦を勝ち取るが、いずれも1年で降格の憂き目に遭った。それでも、1992/93シーズンにこの10年で4度目のセリエA復帰を果たす。
1993/94シーズンは、11位でフィニッシュ。これがクレモの 歴代最高位である。
この時、チームを率いていたのが、後にインテルを指揮することになるルイジ・シモーニだった。1994/95シーズンも13位に終わり残留を成し遂げるが、翌シーズンは17位で降格。さらに、1996/97シーズンのセリエBでは最下位となり、それ以降、階段を転げ落ちるように、クラブの競争力は低下していく。
21世紀の幕開けはセリエC2で迎えた。転機が訪れたのは2007年だった。セリエC1に所属していた当時、現オーナーのアルヴェディが、クレモを所有することになってからだ。
1937年8月28日生まれのアルヴェディは、海外資本の参入が相次ぐセリエAにおいて、今や数少なくなったイタリア人オーナーの一人。1985年から製鉄業界で事業を展開している持株会社『フィナルヴェディ』の創業者でもある。クレモナではその存在を知らない人は誰一人としていない名士だ。
サッカーだけではなく、クレモナには、アルヴェディの“功績”が至る所に刻まれている。例えばヴァーディのお披露目動画が撮影された街の宝である『ヴァイオリン博物館』は、アルヴェディの資金提供により、『パラッツォ・デッレ・アルティ(芸術の館)』が全面改修されて誕生したものだ。
また、多くのクレモナ市民が戦後に生まれた『ラ・パーチェ病院』も、彼の手によって高齢者施設へと生まれ変わった。さらに、財政危機にあったイタリア大手出版社『リッツォーリ』を救済し、最大で株式の12%を保有した。